Blog 本居宣長研究 「大和心とは」 : 『直毘霊』を読む・六
- 今回は第六回目ということで次のところへ進んでいきたいと思います。まず本文を読みます。
- 今回はここのところを講釈したいと思います。これをまず語釈をしていきます。
「かゝれば、からくにゝして道といふ物も、其旨をきはむれば、」。ここの「旨」というのは、ことの趣とか趣旨とか意味のことです。それ以外のところは大体大丈夫だと思いますので全体を語釈すれば、「そうしてみれば唐国(もろこし)にて“道”というものは、その本質を考究すると、他人の国を奪おうとする方法と他人に奪われまいとするこしらえごとの二つを出ないものである」ということですね。
今回、宣長がここで述べているのは 、先にある本文
- と説いてきたことの要約、すなわち“道”とはせんじ詰めればどういうものなのかということを、短く端的に表現している部分なんですね。
つまり、結局のところ中国の聖人達の説いてきた“道”というのは、自分が皇帝、すなわち世界の王となって思い通りに世の中を治めるためという動機を根本にして、その目的を達成するために必要に迫られて智恵を駆使して作り上げられたものであるということです。これが中国思想の原動力であると。すべての中国思想の根源である“道”というものの生まれた本当の動機というのは、正にここにあったのだということなんです。
- 「上とある人は、下なる人に奪はれじとかまへ、下なるは、上のひまをうかゞひて、うばゝむとはかりて、かたみに仇みつゝ、古より國治まりがたくなも有ける。」と書いていますね。ここの部 分ということですね。
- そうです。なぜそうなるのか。これはいままで説いてきたことなのでそのまま読みますと、
- これはどういうことなのかというと、上にある人がなぜ上にあるのかという根拠が人間の“理(り)”の次元で設定されているからなんです。“理(り)”の次元であれば、「論理的な手法」 に則ってその根拠の部分を奪ってしまえば自分が王になることができる。
- 理屈として、なぜそのような人たちが上にあるのか。理屈として理解できるものでなければ私達としては認められないという立場が厳然としてあるということですね。
- 逆に言うと、理屈として認められれば自分が他の者に取って代わられるから、上にいる人は自分の地位がいつ奪われるかに関して常に不安なんですね。ただその根拠さえ得れば、他の者がすぐにでも取って代わることが出来る。中国で言 うところの根拠というのは「徳」ですよ。「徳」の力ですよ。「徳」の力というのは人々を手懐ける力・智恵といった、様々な人間としての力、その総合力です。
- 現代の言葉で言うと民主主義的な選出方法を得て過半数を決したものが正しいということと似ていますね。この場合も過半数が贊成したから正しい選択であるというのは、ある意味非常に論理的に正しい。
- そういうことなんですよ。自分が上(カミ)であることを人々が納得したもの、人々を納得させた者が上(カミ)につけるんですね。もちろん納得させるためには力も必要です。古代中国においては武力の力を背景として諸侯を手懐ける。さらに諸侯が治めている人民。そうした人々の不平不満をある程度吸収して納得させるという力が必要なんです。これらの大衆を納得させるために根拠となるものがまさに“道”であり、“道”を体現している“聖人の教え”なんです。“道”というのは道理が通っていますから“道”を踏み外せば、その人は全くその器にないとされるわけです。
- そこで易姓革命が始まる。
- 君たる人が道に則り徳があるなぁと見えている間は大丈夫ですけれど、徳の力を失い、いったん人望が離れてしまうとその後の展開は早いですね。よく「天・地・人の三徳」と言いいますよね。その三つが備わって中国では初めて君主になる、皇帝になることができる。“天”という言葉が入っているから人力ではどうしようもないという部分もあるということはある程度はわかってはいるのだけれども、中国で言うところの“天”は、いままで述べてきたように道理そのもの“道”そのものを最終的に保証している存在ですからね。だから“天”は“禍津日神(マガツビノカミ)”の存在は認めないですよ。そもそもそれは“天”という存在定義と論理的に矛盾するから絶対に認めない。この二つは根本的に並び立たない概念なんですね。
司馬遷が史記の伯夷列伝で書いてあるように、この世の中に“道”はあるのか、ないのか。「天道、是か非か」。司馬遷のように過去の歴史(の暗部)を真摯に紐解いた者には、その呻吟が当然出てくるわけですよ。
- すべてが正しいということ、絶対的に正しいものがあるということを前提にしているがゆえに、それとのズレが発生するわけですよね。そのズレに対しての憤りというのが司馬遷に史記を書かせた原動力になっていたということですね。
- そうですね。むしろ憤りというよりも嘆きと言った方が良いかもしれないですね。彼(司馬遷)は、本当に“天”が是であり常に善人の味方をするのであれば、自分が調べてみた過去の歴史、これは一体何なんだと。臣下に殺された君主は山ほどいるわけですよ。しかもそれは悪逆な王だけではないですよ。
司馬遷の言葉をそのまま引用すれば、「時代が下るにつれて、人々の操行は無軌道を極め、どんなに忌み憚る残忍なことでも平気でする悪人が出てきたが、そういう者に限って死ぬまで人生を楽しみ味わい、その財産は子孫が何代も贅沢に暮らしても絶えない。その一方で、踏む地を選び、時機を考えてのち発言し、行いは径(ぬけみち)を通らず、正しいことにのみ憤りを発する、そういった人々で禍(わざわい)に出会った者の数は、とても数えきれない。私は甚だ当惑するのである。天道といわれるものは、正しいのか。それとも正しくないのか。」(史記、伯夷列伝)ということなんですね。
特に殷の後、武王によって周王朝が樹立されたのだけれども、それを是とせずに死んだ伯夷と叔斉という人がいました。言うなれば武王がやったことは易姓革命ですよ。いかに殷の紂王が悪逆だったとはいえ、暴に報いるに暴をもってしたわけですからね。臣下が主君を弑逆したわけですよ。
その伯夷と叔斉の二人が首陽山で周の粟(禄)を食(は)むことを恥じて飢え死にしたんですよ。あの孔子が、それを志を曲げない清廉潔白な人だと褒めている。ある意味“道”に殉じた人達ですよ。こうした人達というのは概ね不幸になっていることが多いというのが、司馬遷の感じたことなんですね。そして聖人といわれる孔子自体が、まさしく聖典(書経)に載っている三皇五帝を始めとした聖人達のように君主の地位に就いて、天下を治めたわけではない。俗に言う、功成り名を遂げた生涯ではないのですね。
また亜聖とも言われ、一番弟子とも言われた顔回(がんかい)は極貧に苦しみ米の糠さえ食べられず年若く死んでしまったのですね。そういった古今の歴史を調べ、「史記」に記しながら嘆いているわけです。まさに古(いにしえ)から儒教によって説かれてきた根本である“道”を行う者に対して、“天”は厚く保護をして幸いを与えるという肝心のところが、現実の“こと”の連なりである事実としての歴史の中に見い出すことができない。このことに対する疑念と嘆き。
もっと簡単に言えば「天道に親(えこひいき)なく常に善人に組す。もしかしたら、これは勝手に人間の方が天に期待しているだけではないか。これが真実なら、善人は常に栄えるはず。それなのに伯夷・叔斉は餓死してしまう、何故か?」という疑念ですね。
- しかしそれは人間の価値観の基準となっている良し悪し。その良し悪しにおいて“神”または“天”というものは善き事を行う、必ず“道”を行うということを前提としていますよね。
そのため司馬遷は“道”が行われていないと嘆くことになる。由々しき事態は改変すべきという立場を取ってしまう。その背景から考えると司馬遷に対してシンパシーを持ってしまう人物は根源的に、統一された善で覆われていない“現在”、言い換えるならば善も悪も混在している“現在”を唾棄する事によってのみ成り立つユートピア思想を内在化していると言えるのかもしれませんね。
そのため“天”の道理である“道”が行われていないということは由々しきことだと。
- そうなんです。だから宣長はそこをついているんです。
- 逆に言うと神様、“神”と呼ばれている存在の世界観が、人間の価値観と同じ善悪の判断で物事を動かしているのかというのは、それは誰も保証していませんよね(笑)
- カントじゃないけど要請ですよね。“神”が存在するかどうかは確証がない。完全な証明もできない。有る証明もできるし、同時に無い証明もできる。しかしその存在(神)が実在していることは、人が道徳律を実践することから要請されるという。中国でもそれと非常に似た構造になるわけです。中国では、それが“神”ではなく“天”になるわけですが。
- 宣長の言っている“漢意(からごころ)”が一体何なんだということを考えると、人間の価値観においては「善きもの」が「絶対的に有る」というのはイコールなのだと前提化してしまう性向・傾向がある。
- 暗黙の前提になっているんです。
- 近代ヨーロッパでも古代中国においても似たパターンが出てきてしまうというのは、人間において“漢意(からごころ)”がそれだけ根深いものだからとも言えますよね。
- その世界観なり教義なりが成り立つための前提として、それを保証しているところの、そのまた上の絶対的存在というのがある。そこのところで座標軸が作られているから、その座標軸の上で全ての物事が展開し、一定の価値判断がなされていく。普段、我々にとって座標軸の存在は忘れられていますが、座標軸自体は厳然としてあるんです。
- その座標軸は何かというと、善悪を基準化する存在ということですね。
- そういうことです。だから座標軸なんです。
- そしてその座標軸で基準が出てきた結果、ある意味では三次元の世界を二次元のX軸・Y軸に切り替えた瞬間に、X軸・Y軸における方程式というのは非常に論理的に答えが出てくるということですよね。
- そういうことです。
- だけどそれは変数を2つだけに絞るという制限があることでのみ成り立つ論理性ですよね。
- そういうことです。だからこの世の中のことは全て証明できるし、説明できる。論理的に納得し尽くすことができるはずだと。
- 逆に言うと、その二次元世界の論理ばかりに嵌っている人からするならば、二次元のX軸とY軸によって形作られている論理世界を突き詰めていったとしたならば、本来の三次元体が正確に現実化・再現できるのだと考えているわけですよね。
- そういうことです(笑)
- 前、たとえ話で出ていましたけどアリさんが毎日エサを運んで「大きな虫を取ったぞー!ワァーイ、ワァーイ ! ! いやぁ今日も疲れたなぁ」と喜んでいるところでですね、いきなり殺虫剤を撒かれて(笑)それはアリさんからしたら(笑)
アリさんというのは先ほどのX軸・Y軸の二次元的な存在とも言えるわけですよ。そこにいきなり三次元存在、アリさんにとっては究極的な神としての存在としての人間が殺虫剤を撒いちゃうわけじゃないですか。それは理不尽ですよね(笑)アリさんからしたら。
- アリからすれば100年考えても1000年考えても、なぜ自分たちが死ななければならないのかという論理的な納得はできないですよ。その理由すら思いつかないと思いますよ。それを見つけることは永遠にできないですよ。
前も言いましたが、二次元の平面世界に住むネズミが、三次元の概念である“壁”の存在を、二次元の論理で説明されても、全く理解できないのと同じです。ただ事実としては、自分達がまっすぐ直進できないというだけの話で、彼らにとってはなぜまっすぐ直進できないのか、二次元の論理、すなわち同じ次元の言葉を使って説明されたとしても、結局のところよくわからない。“真理”というのはそのようなものかもしれないと以前話しましたけれどね。
- もしかしたら実際にいま言ったように二次元と三次元での差というのがあるのかもしれないしないのかもしれないですけれども、少なくともその部分の精査をきちんとやらなければならないのにもかかわらず、その部分は見なかったことにして、蓋することにして非常に論理的で人間にとってわかりやすい論理に切り替えているのが“漢意(からごころ)”だと考えても良いのですかね。
- そういうことです。いままで説いてきたことを一通り読んでいただけれれば、結局そういうことなのかと理解できると思います。もちろん厳密な説き方をすれば、その過程についてはもっと詳しい補足が必要なんですけれどね。
話は少し変わりますけれど、数学の公理や定義というのがありますよね。定義や公理自体は証明できないですよね。例えば、マイナスとマイナスを掛けるとプラスになるというのは単なる定義、すなわち計算の規則、取り決めですからね。真理じゃないですよ。定義や公理そのものは証明不能なんです。そもそも数学の体系自体が、証明されない公理を無条件の前提、出発点として、それを論理的に組み上げていくことによって出来上がっているものなんですね。
- 最も基本的なところに立ち返るとするならば、「1+1=2」であるということ。これ自体もよくよく考えると不思議なことですよね。
そもそも自然界には厳密に言うと「1=1」はないですよね。それをひとつの“1”と別の“1”は同じであると定義づけています。“1”は“それ”だけの唯一の存在でしかないのにも関わらず、“1”という他とイコール付けできるものへと変換されてしまっている。
それと共に、その唯一の存在であるはずの“それ”であった“1”が他の“1”と並列されて、足されると“2”という人間が概念化したものと一体化させられてしまう。
よくよく考えると「1+1=2」を取ってみても不思議に満ちている数式だと思えますよね(笑)
- 現実世界においてその通りになるものとならないものがありますね。水玉なんかは「1+1=1」ですよ(笑)量は?という問いがあるでしょうけど(笑)。
- 「1+1=2」を前提とすることによってその上に組みあがっていく論理体系なんですよね。
- そうなんです。だから、宣長が“漢意(からごころ)”と総称している中国思想および様々な宗教の教義・世界観にしても、その根元のところに公理系というか、絶対不可侵な前提・座標軸が必ず存在しているんです。全てそこを土台にして“真理の体系”というものを組み上げて来ているんです。その結果、世の人々にとって“真理”というのは、「必ず論理的に理解できるもの」になってしまったんですね。これは当然の成り行きでしょうね。
だから現実世界の“こと”の生々しい連なりの中に、それ(真理)をそのままの形で当てはめて理解しようとすると、ある部分では成功しても、またある部分では失敗する。
特に宣長が言うように、人間にとって最重要事である“生死の安心”に直結する死の局面において、それ(真理)は必ず確証不能に陥ってしまう。死んでからこの世に生き帰ってきた人はいないですからね。いかに聖人や教祖達が智恵を尽して巧妙に論じて死後の世界を解き明かしたところで、それが真理であるという確証はどこにもない。
- その点で言うと先ほどの「1+1=2」であるということをもう少し膨らましていくと、確かに公理系の考え方では「1+1=2」であるとなるわけですけれど、宣長の言う“漢意(からごころ)”のない“大和心(やまとごころ)”の目で見ていくと「1+1」というのは“1”と“1”がそのままあるじゃないか。その現実を見なさいということになるのですかね。
- というよりも、より正確に言うと、そもそも“1”というものがあると言うことを前提に、物事を見るのではないですね、宣長の場合。“1”があって、それを現実の物・事に当てはめて“1”があるとしているのではないです。
“1”という言葉が出てくる以前。“もの”と“こと”が生まれてくる原初の時における、“もの”“こと”との直面の刹那。そのとき対面している自分の眼前に、“もの”“こと”全体が、「一つの“もの”“こと”」として確かに立ち現われた。それを、奇しくも“1”と名付けた。それが“1”ですよね。つまり「事(こと)=言(こと)」なんです。
これは何か禅問答のような、わかりにくい言い方ですけれど。
- いま言った“もの”と“こと”との関係性から出てくる“1”と、その前に話した一般的な意味での「1+1=2」の“1”との中間的な表現になるのかもしれませんが、例えば目の前に取れたてのジャガイモがにこあったとします。そのジャガイモ1個とジャガイモ1個。そのジャガイモを足すとジャガイモ2個とするのが公理なわけじゃないですか。
だけれど宣長的な見方でいうとジャガイモ1個とジャガイモ1個というのは、ジャガイモ1個とジャガイモ1個の存在そのものではないかと言えるわけですよね(笑)
それをどうして同一視して、それぞれのジャガイモAとジャガイモBを等価のものであるとなぜできるのか。それは現実世界では、ジャガイモAはジャガイモAでしかなくてジャガイモBではない。同様にジャガイモBもジャガイモB以外の何物でもない。
それを等価のものとすることによって公理が発生する基盤を得ることができる。
- 転倒してくるんですよね。人間の直接的な感覚ではジャガイモ1個と別のジャガイモ1個を見たとき、ジャガイモ2個であると認識しているのかどうか疑問が残るのは指摘して良いと思うんですね。率直に言うとそれは学習の成果なのではないかと。
パッと見たときにジャガイモAがある。そしてジャガイモBがある。問題なのはそれぞれ別の存在であるものをジャガイモ2個として見る。ここには実は大きな問題がある。それは自動的にちっさい頃からの習慣として、学習として人間が「1+1=2」であるという公理を叩き込まれているからすぐにジャガイモ2個として定位してしまう。
- そうそう。「物」が存在するときに何個存在するという存在の形式、というか認識の仕方、言い表し方が存在するが故に、そのような様式で「物」が現出してくるんです。われわれが普通思っているのと、順序が逆なんです。
さらに言えば、数学などが学問として成立し、世間の常識とされる以前には、「1、2、沢山」といった数え方も可能だったわけですよ。ではその沢山の上は何かというと「もっと沢山」。その他いろいろな数え方や名前の付け方があったにせよ、その言葉に対応する“もの”“こと”が、外界であろうが心の中であろうが、確かに存在していたのは事実なんです。その名付けられた言葉には、しっかりと“もの”“こと”の重みというか、実感が伴っていたんです。いや、その実感そのものが、その名前になった、すなわち言(こと)になったといった方が、真実に近い。ちなみに宣長は、この“もの”“こと”との直面(接触)の刹那生まれた(概念的認識ではない)「実感」のことを「情」と呼んでいますね。
だだ思うのは、この種の認識論的分析の話は、哲学的には面白いかもしれませんが、大して内容のある話ではないですね。そもそも宣長とは、あまり関係がありません。たまに脱線もよいでしょうが・・・。
- いま言った逆転現象ということで考えるならば、精神病などにも同様の事象を見ることができると思うんですね。精神病で例えば「引きこもり」が最近では問題になっていますけど、その「引きこもり」といった現象は昔でも普通にあった事象だと考えることもできると思うんですね。外に出たくないとか。
「引きこもり」という言葉が発生したが故に、その「言葉」によって現象がフィードバックされてしまうことになっている。
- そうなんです。「引きこもり」という「言葉」と、「引きこもり」という「現象」の発生は同時なんです(笑)
昔はそのような認識の仕方、認識のされ方、名付けられ方がなかったときには、そのような現象は存在しなかったんです。われわれの“こと”の世界においては。
- “こと”の世界では単に出不精のサボリ癖の強い人というそれだけの話だったのに、「引きこもり」という「言葉」が発生するのと同時に「引きこもり」という実体が発生したんですよね。
- それでやっている本人も自分で認識している。私は引きこもりをしていると(笑)
それが事実。それが真実だと。ですが、少し考えるとおかしいと思いませんか?
これは真実、引きこもりである、と。そう名付けたからには、論理的には引きこもりであることは真実でしょうが、その「引きこもり」と名付けられた“こと”そのものは一体何なのかということを考えると、個々の具体的な行動(事)の連なりでしかない。それを一つにひっくるめて「引きこもり」と名付けるのは、単に概念化というか、範疇分けの問題でしょ、とも言える(笑)
世の中においてわれわれが“真理”であると言っているもの、学問で“真理”であると言っているものの大抵は、これに似ているんではないですか(笑)
- だいぶ宣長さんのところから話が発展してしまいましたけれど、そういう“漢意(からごころ)”的なものは、われわれが生活していく上で自然に発生してくる。物を理解するという過程、言葉を使うという過程、生きていくという行為そのものが、ある種の概念化を次々と生み出してくるし、その概念化を生み出す根源のところに、厳然と公理というか、特定思想が居座っている。つまり価値判断を成り立たせている座標軸の部分にですよ。それを人々は あまり意識していないですね。
- そしてどうしても「善・悪」というものが必ず有るものだということと、その「善・悪」というものは必ず論理的であるというこ とを盲信しているということですよね。
- そうですね。その部分について人はなかなか気がつかない。「真理」というものは、その論理の世界に住んでいる人にとっ ては自明なものだけれども、その「真理」そのものの発生の根源を見ていくならば、これは極めてね(笑)それではどのようなものを「真 理」と言っているのかというと……。
- 「井の中の蛙、大海を知らず」といったところでしょうね。
- 近代になって、様々な形で「真理」とは何かを規定しようとする動きがあって、検証原理というものが作られたんですね。その命題が論理的に正しいこと(“真”であること)、そしてそれがいつでも確証可能であること。要するに、それをいつでもどこでも再現して確証できることです。それに合致するのが 「真理」であると。
「真理」の乱用に対してそのような検証原理を導入して、その基準に耐えられるものだけ、「真理」と認めるようになった。この結果、「真理」は自然科学や論理学、数学などに限られるようになった。逆に神学などは、最もその基準に堪えられないということで、真理を扱う学問の場から排斥されたんです。
しかし実を言うと、検証原理自体が検証原理をパスすることができないんですけれどね(笑)これはよく考えると分かると思います。結局、検証原理自体が一つのドグマなんですね。
それでは、世の中で言われているところの「真理」とは何か?やや結論的にいうならば、われわれは実際のところ、自分達(人間)の、対象に対する主観的な取り扱い方のことを「真理」と言っているんですよ。
例えば、魚が「水は自分たちの住みかだ」と言ったとします。それは真理かどうか。人間にとって水は水であって、自分達の住みかではないですよ。あくまで魚にとって住みかなだけですから、それは部分的には正しいということになりますよね。しかし魚からするとそのような表現の仕方しかない。これが私達魚の生活の場であると。水というものは、彼らにとってそのようなものとして立ち顕れている。魚はそのようなものとして水を使っているんです。そのようなものとして使っているということを、魚から見て「真理」だと定義しているのに過ぎないんですよ。そしてそれ以外に、水が魚にとって住みかであることを“真”とする根拠はない。
身近な例で「彼は私の親友である」というのも、「私」が「彼」をそのようなもの(親友)として使っている(扱っている)ということを言っているんですよ。つまり、そのようなものとして「彼」を使っています、という「私の態度」のことを言っているんです。だから、私が「空を見ている」というときも、それを「空」として扱っている「私の態度」を見ているということなんですね。いわば「私」が「私」を見ているというか・・・。
このように、私たちの見るものすべては、私たちの生きている現実の中に、「私たちの態度」の反映として立ち現れているものなんです。人間である私たちの生きている現実と、全く切り離された無関係なところに、客観的世界が存在するのではないんです。「真理」といえどもその例外ではない。だから、普通我々が「真理」という言葉でイメージしているものと、「真理」の実態はかなり趣きが異なるんですね。
言い方を少し変えると、何かの“もの”“こと”に触れて、自己がその“もの”“こと”に直に関わっていく。“もの”“こと”を俯瞰して、離れたところから客観的に見るのではないんです。その退っ引きならない関係性の中で、自分自身が自らの立場から、対象であるその“もの”“こと”をどのように取り扱っているか。その取り扱い方を、「~は~である。」という論理で表現した。そして、それを他の誰もが、「それはそうだ。その通りだ。」と認め、賛同する人数が一定数を超えたところで、それは公的な「真理」になるんです。
「真理」とは、突き詰めていってしまうとそういうことです。
- 逆に言うと、その部分に対して人間は論理的な正しさに対しての盲信というのはそこまで根深いものがあるということで すね。
- それは客観的真理でも何でもなくて、単にわれわれの生きている現実の中での、主観的な取り扱い方の問題なんだということんですよ。ほとんど元は、そこから発生しているんですよ。
- その論理的な正しさという部分。それは砂上の樓閣なのかもしれませんけれど、あくまで主観的な取り扱い方、そこでの理屈の関係性、論理関係ともっともらしさをもたらすための多数派工作によって成り立っているわけですよね。それだからこそ、論理的に正しいというものに対しての説得力というのが人間にはあるというのは指摘できるのでしょうね。
- いやいや、人間全てに対して説得力があるのではなくて、そのように物事を考えるという“漢意(からごころ)”を、自分の心の中に意識することなく染み込ませてきた人々においては、大方そうなんです。
- それを具体的な対象としてあげることができるのが中国であったと言えるのかもしれない。
- そうですね。話がだいぶ脱線して、哲学論みたいになってしまいましたね。宣長さんとあまり関係が無いのでは?という声もあるかもしれないので、そろそろ本題に戻ります。
- 中国の場合に話を戻しますと、自分が皇帝である、世界の王である、ということを成立させている根本のところに“道理”というものが入っている。すなわち皆が論理的に納得できるものでなければならないという条件が入っている。それを引き金にして易姓革命が起こる。王の姓がどんどん変わっていくわけです。
我々は普通、それを当たり前のことと考える。王に問題があれば、それを強引にでも引き摺り下ろして、別の優れた(と思われる)人を王にするというのは、論理的に納得できますからね。ところが、司馬遷が深く嘆いたように、それでも一向に世の中に「正しい道」は確立されない。本当にこの世の中に「天道」はあるのかと。現実に起こった“こと”の世界(=歴史)には、その疑念を生むだけの、十分な事実(=非道)の積み重ねがあるわけです。
けれども、現実の世界に“道”があろうがなかろうが、過去の中華世界の歴史において、実際に王位に付いた人、付こうとした人が、人々を納得させる手段として用いたのがそういった“道”であり、“道”を体現しているということだった。それを可能にしていたのが、“徳”の力なのですね。
では何故彼らは、“徳”の力によって、有るかどうかも定かでない“道”を体現しているかのように見せようとしたのか。その根源の理由を言ってしまうと、「必要に迫られた」。知恵の発達した人々を手懐けるためには、“道”が必要だった。ただそれだけなんですよ。まさに宣長が、「上とある人は、下なる人に奪はれじとかまへ、下なるは、上のひまをうかゞひて、うばゝむとはかりて」というように。つまりこの世の中で、自分一人が王になりたい。この世の中を、自分の思うままにしたいという、根源的要求を満たす「必要性」に迫られただけなんですね。
これは、人間が心の底に持っている奥深い我欲とも言える。ただ生きるだけではなくて、とにかくすべてを自分の思い通りにしたい。それが幸せである。その具体的な欲望というのは、時と場合によってどんどん異なるわけですけれど、現実世界で言うならば、最終的にこの世の王になって人々を従える。要するに天上天下唯我独尊の状態。その実感を持ちたい。そして死後においてもずっと。秦の始皇帝ではないですけれど、死んだ後も永遠に皇帝として君臨したい。これは古今東西どこの民族でもどこの国でも同じですよ。
- そういった意味で、教祖のいる創唱宗教の場合も、これとよく似た状態になるんですね。
宣長は主に、中国の「道」を例として説明してきているのですけれど、“漢意(からごころ)”というのが中国思想にとどまらず、仏教やその他さまざまな思想(思考様式)を含むように、当然ここで中国の「道」に対して言ってきたことは、そのまま創唱宗教(世界宗教)にも、そのままの形で当てはまるわけです。
つまり、宣長が中国思想(=道)の生成の原動力とした、「上とある人は、下なる人に奪はれじとかまへ、下なるは、上のひまをうかゞひて、うばゝむとはかりて」という図式は、そのまま創唱宗教においても成り立つんですよ。
ただし、創唱宗教の場合、我々の生きている現実世界である「この世」においてだけ、それが成り立っているのではないんです。実は中国の場合も、「この世」だけではなくて、死後の「あの世」も想定して、明の十三陵のように地下宮殿まで造っている。そこには皇帝の椅子や、皇帝の死後も、権力を守り続ける象徴としての象、馬、駱駝、功臣官、文臣官、武将像などの石像まであるわけです。だから死後の「あの世」こともしっかり考えているのだけれど、「あの世」での存在の仕方が、現実世界の皇帝という具体的な形になっているんです。言わば、「この世」の延長としての「あの世」なんですね。さすがに中国人は現実主義ですから。
ところが創唱宗教の場合は、扱う世界が現実世界とその延長としての「あの世」だけではないんです。
- 冥界の王(神)であるとともに現実世界の王(神)でもある。
- 冥界どころか世界のすべて。真理の世界のすべて。過去、現在、未来をも超越した別次元の世界を想定して、それが座標軸になっていますから。スケールが違うんですよ。
- 法螺もでかけりゃもっともらしく聞こえる(笑)
- (笑)現実世界を統べている形而上的世界。これを真理の世界と言っています。その世界における唯一の王となるという動機を根本として、その目的を達成するために、知恵をふりしぼって作り上げたものとも言えるんです。こんなことを言うとかなり問題があるとは思いますけれど、この世においてのみでなく、あの世においても、それらを統べている真理世界においても、唯一の王になることを目指すんです。
それでは、創唱宗教、世界宗教と呼ばれているものの中に、現実にそのようなものはあるのか、具体的に検証しなければならないですね。
- 検証をするにしても、つらつらと思い浮かべるだけでもどうも創唱宗教は全部そうなんじゃないかと思えますね(笑)あの世というものを全部保証していますからね。あの世においてどのようになるのか。その説明を創唱宗教というのはすべてやっていますよね。キリスト教にしろ仏教にしろイスラームにしろ。
- それでは、現在の世界宗教の中で、最も信者の多いキリスト教を例にとって、簡単に検証してみましょうか。
先ほど、創唱宗教の教祖の場合、この世だけでなく、あの世やこの世界を統べている真理世界においても、唯一の王になることを目指すといいましたけれど、その裏付けが、彼らの聖典にあるのかどうかを調べてみるのが、一番簡単でしょうね。
そうすると、まず思いつくのは、新約聖書のマタイ伝28章ですね。イエスが次のように言っているんです。
「わたしは天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」
次にヨハネ伝の17章です。
「父よ、時がきました。あなたの子があなたの栄光をあらわすように、子の栄光をあらわして下さい。 あなたは、子に賜わったすべての者に、永遠の命を授けさせるため、万民を支配する権威を子にお与えになったのですから。永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。」
マタイ伝では、ここでハッキリと「わたし(イエス・キリスト)」は、天においても地においても、一切の権威が与えられている。「天においても、地においても」というのは、キリスト教で言うところの「永遠の世界」ですね。そしてヨハネ伝の「あなたの子」は、父なる神(ヤーウェー)の「子」、すなわち「万を支配する権威」を与えられたイエス・キリストですね。
イエスは万民を支配する権威を持っている。結局この部分で、(ローマ総督ピラトの前で)イエスは、ユダヤの王を僭称したという罪を着せられるわけですね。つまり、人民を扇動して王たるメシアになろうとしたという、政治犯ともいえる罪状が付けられたんですね。
そういう意味では、イエスはひたすら精神世界に引きこもって、その世界だけで「王」を自認していたのではなくて、自分こそ、現実世界そのものを統べているところの「永遠の世界」の王なんだと。現実世界の王など取るに足らないのだと。命(いのち)あるものは、すべて「わたし」の弟子であり子なんだと。迷える子羊なんだと。そういういう自負を強く持っていた。それが、聖書の言葉に表れているといえますね。
このように、中国の聖人たちに対して宣長が言った言葉というのは、創唱宗教一つ、キリスト教の教祖にも、そのまま当てはまってしまいますね。
イスラム教や仏教など、その他の創唱宗教についても、同様の方法で検証できますが、長くなるのでここではやりません。興味があったら調べてみてください。キリスト教とよく似たものを見つけることが出来ると思いますよ。
- 冷静に考えてみると、客観的というか第三者的なものの見方でいうと、もしかしたら誇大妄想なんじゃないかと思えないでもないような気もしますね(笑)まぁ、スケールが大きいから説得力があると言えばあると言えるのかもしれない。
- 中国の場合は、下なるものと上なるものとの戦いなんですよ。その点、西洋世界の場合は、そこにもう一つ、人と神との戦いという側面もあると言えますね。特に近代においては、神なる座を奪わんと、人が理性を武器に、啓蒙思想を始め、さまざまな「世界観」「思想」を作ってきた。その視点でも見ることができると思います。
先ほどお話したキリスト教の場合は、この世では弱者として虐げられていた者達が、思い通りにならないこの現実世界よりも、まずは精神世界(真理世界)において、彼らの独裁を達成しようとした。そのため、その世界でのみ通用する正義(価値観)を、自分たちの独自の世界観と教義によって作り上げた。そして信者たちは、唯一絶対の神の名の下に、その特殊な正義(価値観)を、今度はこの現実世界においても、力ずくで実現していこうとする。それが成就した時、彼らがこの世の支配者になる。
これが彼らにとって正しい歴史なんです。近代における、自由、平等、人権等の近代主義思想や共産主義思想にも、これとよく似た構図が見られますね。
その根底にある原動力は、宣長が指摘した中華世界におけるものと、大して変わらない。すなわち、この世の中で、自分(達)が王(支配側)になりたい。この世の中を、自分(達)の思うままにしたいという、根源的欲求ですね。
- それだからこそ奪わんがために、攻めてきたらそれに対して反攻してゆくパターンもありますし、奪われんがために自分が積極的に攻めて行って守ろうとするパターンがありますよね。
- そうですね。
- イスラームに関しては、どちらかというと攻めてきたら反攻するという守りのパターンですよね。どちらかというと。自分たちは自分たちで積極的に攻めていくことはしません。来る人は拒まずの対応ですよね。だけれど攻めてきたら、こちらからきちんと攻め返しますよ、というのがイスラームのやり方です。
その点、キリスト教の場合は、自分たちが拙いのではないかとなったら、過剰なまでに攻撃性を見せていく傾向が強いというのは指摘できるでしょうね。
- 多分そこのところは、反論があると思います。イスラームに関してもキリスト教に関しても。それはあなたがそのように決め付けているだけだと。反証を挙げようとすればいくらでもあるし、彼らの聖典から文言を引いてきて、反論されると思いますね。だから、言わないのが身のためでしょうね(笑)やるなら、もう少し精緻な論証が必要でしょう。
ところで、“『直毘霊』を読む”の第五回と第六回でやったところは、主に中国の“道”について宣長が論じているところなのですが、こうやって詳しく読んでみると、その言葉の射程は、創唱宗教をはじめ、かなり遠くまで及んでいると思いますね。
そして宣長の言葉を、先入観なく虚心坦懐に読んでいただければ、なるほどこれは思い当たる。改めて考えてみればそういうことか、とピンと来るところが、少なくないのではないでしょうか。
宣長のいう“漢意(からごころ)、すなわち“聖人”と“道”の問題の眼目が、一体どこにあるのか。それは今までの部分で、ほとんど出尽くしているのですね。
- 最初の部分からここまでの部分まで宣長が『直毘霊』で言っていることは、ずっと同じことを言っている部分があると思うんですけれど。
- そうなんです。この『直毘霊』において、宣長は用語の意味や概念の定義をひとつひとつ説明して、だからこうなんだという帰納法的な論証はやっていないですね。最初から「自分はその地点に立っている」という確信のもとに、『直毘霊』という題を得て、自分の発見したものを、思うままに語っているだけです。彼自身が感得した「神代の眼」に映じてきた様を、そのまま語っているだけ。
だから、その言葉を、本当に腹の底まで理解するためには、言い換えれば、理屈ではなく実感としてわかるためには、“漢意(からごころ)”というものの正体。それを現代を生きている我々にも、十分わかる形に置き換えていく作業が必要になるわけです。そうして初めて、“漢意(からごころ)”というものを、今も確かに実在する生きた「もの」として、生々しく感じることができるんです。
そこで、もう一度『直毘霊』を読んでもらう。そうすれば、“漢意(からごころ)”を語っている言葉の底に、宣長の発見した“古道(いにしえのみち)”が、自(おの)ずから浮かび上がってくる。『直毘霊』の文章全てが、“古道(いにしえのみち)”から照らし返されて、生まれてきているというのがハッキリわかる。
- ある意味では金太郎飴。
- そうです。すべてがその一点から出てきている。どのような対象を語ったとしても、元は全てそこから出てきているんです。
- そのためどこを切ったとしても実際は同じ視点がずっと最初から最後まで続いている。
- そういうことです。私が説明してきたことは、その場その場で語っている対象も題材も違いますけれど、そのもとになっている宣長の言葉の、依って立つところを深く掘り下げていくと、常に同じ鉱脈に繋がっていくんです。だから、ここでも出てきた、またここでも出てきたと。結局、“古道(いにしえのみち)”についてしか語っていないのではないかと(笑)
“古道(いにしえのみち)”、そして“もの”と“こと”、“漢意(からごころ)”、“神”。それらがすべて繋がっている。これは一番最初に、基本的な用語の説明ということで、本居宣長研究ノートにかなり青臭いですけれど、概略は書いていたわけですが、結局全部そこに帰っていくんですよ。
なぜかというと、宣長の発見した“古道(いにしえのみち)”というのが、“こと”の積み重ね、“こと”の連なりそのものであり、論理・教義・思想ではないからです。それを言葉を使って説明しているから、色々な形で表現されていますけれどね。そこにあるのは、“こと”の連なりの、因果律などによる論理的整理でもなく、出来事を取捨選択して時系列的に配列した歴史でもない。“こと”の実物が、ただ積み重なってそこに在る。その事実そのもの。
しかもそれは、はるか過去の世界のものではなく、今もこの現実世界を刻々と作り成しつつ、生まれ続けている「こと」の動的な有り様、すなわち“こと”の“振り”なんです。宣長は、これを「神の道」とも名付けていますね。
そこに、宣長の言う“漢意(からごころ)”のない“情(じょう)”でもって、直(じか)に接した刹那、“もののあはれ”、すなわち「ものの奇異(くすしあやし)さ」が、一つの“こと”の形をとって現れ出てきたのが、言葉(ことのは)なんですね。
それはもともと、“漢意(からごころ)”による概念化を経て、作り出されたものではない。ところが我々は、この世の中は、形而上的世界や客観的真理世界がその土台にあって、何らかの「意味(根拠)」をもって成り立っているという“前提”を、無条件に受け入れてしまっている。その「認識の型」を基に、全ての“もの”“こと”を概念化し、時系列に沿った論理的連関(因果関係)として捉えてしまう。宣長は、それを“漢意(からごころ)”として、くどいまでに指摘しているんですね。
彼は、言葉(ことのは)とは、元来そういった人工的概念操作によって作り出されるものではなく、“もの”“こと”の実物が生み出す“もののあはれ”、すなわち「ものの性質情状(あるかたち)」自体が持つ「奇異(くすしあやし)さ」が、“情(じょう)”によって受容され、表現を求めて具体的形を持った一つの“こと”、つまり言葉(ことのは)として、そのまま結晶化しているのだ、ということが言いたいのですね。
- その視点が宣長の言う“大和心(やまとごころ)”ということなんですね。
- そういうことです。
今回はここで終わりにしましょう。次回は「そもそも人の國を奪ひ取(とら)むとはかるには」ということで、前節の「ただ人の國をうばはむがためと、人に奪はるまじきかまへとの、二(ふたつ)にはすぎずなもある」ということを、中国の歴史を検証しながら、より詳しく論じていくところになります。
以上です。