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Blog 本居宣長研究 「大和心とは」 : 『直毘霊』を読む・五(下)
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それではそろそろ本題に入りましょうか。
今まで長々と話してきたのは、儒教における「聖人の道」や各創唱宗教で説かれている“教え”など、それらすべてが“漢意(からごころ)”による構築物であり、それぞれ教義の内容は異なれども、いくつかの共通した特質を具えているということ。そしてそれがどのような形で生まれてきたのかという構造。それらを簡単にまとめて話しておいたんですが、そういったことを頭に入れてこれから宣長の説く言葉を聞いていってもらいたいと思います。そうしないと視野が儒教だけに限られてしまい、宣長の真意を取り逃がす恐れがありますから。
では、本文に行きます。
厳しいですね。
(笑)
(笑)では次に語釈に入ります。
「異國は」。これは漢字で書いているとおり異国のことです。“皇大御国(スメラオオミクニ)”以外の国のことです。
「天照大御神の御國にあらざるが故に」。「天照大御神の御國」というのは、ふるさと、生まれ故郷の意味で使っています。あるいは“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”がいまも生きている。正確に言うならば、“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”としての「太陽」がいまもある国ということですね。そして、「あらざるが故に」。そうでないために。外国は“異国(とつくに)”は、“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”のいる国ではないから、“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”が故郷とする国ではないから、となります。
「定まれる主なくして」。決まった「主(ぬし)」。この方がこの国を「しろしめす」、治めると決まった人がないということです。
「狹蠅なす神ところを得て、あらぶるによりて、人心あしく、ならはしみだりがはしくして」。「狹蠅なす」というのは五月のブンブンとうるさいハエのことですよ。その沸いて出る五月のハエのように。ここで言う“神”は“悪神(あくしん)”のことで“禍神(マガカミ)”のことです。その“悪神(あくしん)”が我が物顔で暴れて動きまわる。そのことによって人の心がすさんでいる。「ならわし」というのは習慣・習俗のことです。これが「みだりがわしく」無法である。
「國をし取つれば、賤しき奴も、たちまちに君ともなれば」。国を取りさえすれば。山賊であろうが泥棒であろうが、どんなに卑しい人も国を取りさえすれば“君(きみ)”、最も尊い国を治める人にもなってしまうような国であるから。
「上とある人は、下なる人に奪はれじとかまへ、下なるは、上のひまをうかゞひて、うばゝむとはかりて、かたみに仇みつゝ」。上にある人は下の者に国を絶対に奪われまいと常に警戒して、下の者は「どうせあいつは成り上がりものなのだから」と(笑)。とにかく力によって国を取ったから上にいるけれども、元は下賎な奴なんだと。だからちょっとでも隙があれば、奪い取ってやると常に計略を図りめぐらしている。互いに敵視しあって。信服している振りをしながら、心の中では腹に一物ありという状態ですね。
「古より國治まりがたくなも有ける」。昔から国が治まるのが難しい状態であるよということになります。これはまさに中国の歴史、王朝の変遷を見ると明らかで、易姓革命の歴史そのものを言っているわけです。
易姓革命がありますから、王朝がかわるというのは非常に当たり前のことです。中国の歴史を見るならば、その混乱によって、これはばらつきがありますけれど、次の王朝ができるまでの混乱期においては人口が半減、またはそれ以下になってしまう。下手すると1/3になってしまう。そのようなことを繰り返している。
これは面白いですよ。逆に言うとこれがあるから人口調整ができている(笑)。これが中国の王朝交代にともなう人口調整であり、人口が適正に保たれている要因なんだと指摘している人もいます。
つまり、王朝が建国されて良い政治をやる。そうするとさまざまな産業が発達して人々が集まってくる。土地の収穫も上がっていく。そうすると人口が増えてきますね。それが続いていくと、食物の生産量でまかなえる範囲を超えて人口が増えてしまう。そのとき、自然災害などで大規模な飢饉などが起こると、それが引き金になって、大量の餓死者が出てしまい、国は乱れ人々の生活は困窮し、人民の間に大きな不満が出てくる。その不満を背景に、土豪などが決起し群雄割拠になっていく。
このように腐った世の中、乱れた世の中は、まさに作り直さなければいけない。そのため“天”が新たな使命を与えた人物達が英雄として各地に決起して、その王朝を倒して混乱を収拾しようとする。その過程で大戦乱になる。群雄同士の戦国の世になって、国の治安や経済は崩壊し、難民が発生し、飢饉や疫病がはびこる。結果、多数の人民が死に絶えてしまう。さらに、さまざまな新興宗教が広まり、人心は乱れに乱れる。その戦国の世を勝ち抜き最悪の事態を収拾した一人の英雄が、人心を手懐けて皇帝となり、次の世・王朝を作っていく。その繰り返しが中国の歴史なんです。
それが宣長の時代において、皆が信奉していた中国、漢国の実相であったということですね。
そうなんですね。そしてなぜそのようになるのか。それに対して宣長はここに一つの答えを出している。それは「天照大御神の御國にあらざるが故に」。この一言です。
これは普通にみると難しいところですよ。なんで「天照大御神の御國にあらざるが故に」だと「定まれる主なくして」となって「人心あしく、ならはしみだりがはしくして、國をし取つれば」になるのか。これは簡単なようで難しいところですね。
これが本研究の大本の主題となっている“大和心(やまとごころ)”と関わってくるということですね。
いちばん簡単な言い方をすれば“漢意(からごころ)”と関わってくるというのがヒントですね。なぜ“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”の御国ではないのか。実はこれは“漢意(からごころ)”が関係している。
“漢意(からごころ)”にとらわれてしまっているが故に「定まれる主なくして」がないと逆から読んでいったほうがわかりやすい。
そうですね。逆から読んでいったほうがわかりやすいでしょうね。これは二つぐらい読み方ができるんですけれど。“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”としての“太陽”をそのまま尊きものとして尊べるというのは“漢意(からごころ)”があるとできませんね。
万物の産みの親としての“太陽”の御恵みがなければ、すべての生きものは生きていけないということを、私たちは経験的に知っています。宣長に言わせると“神代(かみよ)”の古伝説においては、“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”とは“太陽”そのものなんですね。その“太陽”そのものを“神々”の中でも殊に尊き“神”として崇めてきたんです。
これは“太陽”そのものを“神”として見ているんです。
太陽信仰としての“神”ではなく、“太陽”そのものを“神”として見ている。
「物にゆく道」ですよね。ここがかなりね。「宣長研究ノート」にも書きましたけれど難しいところですけど。俗に言う“太陽信仰”というのとちょっと違って、太陽に潜む精霊(スピリット)を信仰しているんじゃないんです。“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”としての“太陽そのもの”を崇敬している。
“太陽”の内実というのはこの講義の最初のほうで説明したようにさまざまあるわけです。そのなかで“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”。要するにすべてに恵みをもたらし、万物を生育させるその徳を具えたものとしての“太陽”を“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”と名付けたんですね。古伝説において。
それがそのままに受け継がれてずっと生き続けてきた。われわれは未だに日の出を見たときに手を合わせる。初日の出など。これは“漢意(からごころ)”があった場合に起こりえるのかと考えて欲しいんですね。
外国の人は“太陽”そのものを見て手を合わせたときどうなるのかというと、例えば一神教の人たちにとっては神の偉大なる造化・造形の象徴として太陽をとらえる。だから尊んでいるのは、その背景にある神なんです。その神が万物を創造してこの世が存在しているという物語の中において、被造物としての太陽を尊ぶ。それはその被造物を創った神を尊ぶことととイコールになってしまうんですね。ストレートに行かない。
つまり神に至るための通過の一地点としてしか太陽を見ていないということですね。
そういうことです。置き換えてしまっている。だから太陽そのもののを賞賛するのではなくて、そのものを創ったものが何かわからない、そのようなものがあるかどうかもわからないですけれど、その創造者(観念的存在)の方に崇拝が行ってしまうんですね。
身近な例で言うと食べ物をいただくときに、日本の伝統的な場合だと、食べ物そのものを天地(アメツチ)の恵みとして感謝する。その生産に直接携わったお百姓さんにも感謝する。米というの八十八手の手間が掛かっているという意味であるとの言い伝えでもわかるように、一粒のお米を育てるのにたくさんの人の手が掛かっている。それら全ての存在に対して感謝する。
ところが一神教においては、感謝の対象が別の観念的なものに置き換わってしまうんです。“そのもの”に行かない。直接作ったのはお百姓さん。その御恵みをもたらした大本は“太陽”ですよ。日本の場合には太陽の神様はもとより、食べ物の神様までいるわけですよ。それに対して感謝する。それが一神教においては、すべて創造者、観念的に作られた総元締め的なものが出てきて、感謝の対象がそれに行ってしまう。すべての感謝が、その唯一絶対の観念的創造者に知らず知らずのうちにスライドしていってしまう。その構造こそ“漢意(からごころ)”の典型と言えるでしょうね。
そういった“漢意(からごころ)”がない日本においては、当然ここに書いてある「狹蠅なす神ところを得て、あらぶるによりて」というように、国が治まらないということはないという逆の意味を含めているわけですね。
異国というのはそういった“漢意(からごころ)”があるから。“漢意(からごころ)”というのはさっき言ったように「理(り)」でしょ。「定まれる主」がなぜなくなるのかというと、これは“漢意(からごころ)”に起因している。中国の言葉に「王侯将相いずくんぞ種あらんや」というものがあります。もともと王侯将相なども、そのような「主」である所以としての血筋がある訳ではないんだと。力があるものが天下を取るのだと。この考え方というのは非常に論理的な考え方なんです。力あるものが天下を取るのだと。何かわけのわからない血筋だとか、合理的には納得のできない理由で「君」が定まってよいわけはないんだと。人心を掌握して力によって治めたものが天下を取るのは当然のことではないかと。この考え方は完全に「理(り)」に合致しているわけです。
これって説得力ありますよね。いまでもそうですよ。「数は力」という民主主義もその典型です。
君主が能力がないのであるならば、ちゃんとした能力がある人物を君主にするべきだとの考え方とも繋がる。
孟子の禅譲放伐思想とも繋がるんです。これは易姓革命を生む母体になります。天子に徳がなければ代わりに天命を受けた人が討伐して国を取る。
それをやればやるほど中国はまとまっていないということになっていますね。
これはどういったことなのか。人々の考え方にどのような影響を与えているのかというと、「定まれる主がない」とは、すなわち「力を持ったものが勝つ」ということ。王位というのは決して不変のものではないから、どのような人でも王になるチャンスがあるということです。ある意味、平等主義ですね。いかに身分が怪しかろうが、「國をし取つれば、賤しき奴も」。どんなものであろうと、何をやっていようと、乞食であろうが人殺しであろうが博徒であろうがヤクザであろうが。とにかく人心を掌握して天下を取れば「王」なんだと。そのような考え方になるでしょう。当然。
人間の考える「理(り)」に合っている。論理的に理解できるように考えていくならば、これはまったくおかしい考えではないですよ。
それと同時に、世襲制というのはこの考え方からするならばもちろん否定されますよね。
そうです。そしてどんな時でも、その人の素質や能力が大事になるから能力主義なんですね。現在とまったく通じる考え方なんですよ。これは競争。要するにすべてのものにチャンスがある。競争というカオスの中から結果的に勝ち抜いてきたものがトップになるべきなんだと。それ以外に「君」となる根拠はないということなんです。この考え方は、後に官吏登用のための科挙制度にも引き継がれていきます。
だから訳のわからない神の御仕業(みしわざ)だとか、あるのかないのかわからない、論理で割り切れない部分を交えてはいけないのだと。誰の目にも明らかなように、能力・結果重視だと。
そういう考え方なんですよ。出自は問わないんだと。中国は素晴らしい機会平等の国ですね(笑)古代中国ではこういった教えが流布されていて、その当時から人々はわかっていた。それを当然のこととして。
実に麗しい民主主義の考え方が広がっていた(笑)中国は実に素晴らしい国であったわけですね(笑)
投票によってその地位を得るのか、それとも武力も含めたところでその地位を得るのかの違いはありますけれどね。「数は力」、すなわち大多数の人々を手懐け、信任を得たという点では同じですね。
少なくともその能力主義ということで言うと科挙などはその最たる例なんでしょうね。その科挙によって官僚主義の歪を生まずにうまく能力主義が中国で働いていたのかというと、その科挙によって悪しき官僚主義が余計に増大していたというのもありますね。
そうですね。一王朝がひとつの世界ですから、その世界が終わって次の王朝になると前の時代の歴史がすべて書き換えられる。旧王朝を支配していた一族郎党すべてが抹殺され、国の統治機構・制度が根本的に変わってしまう。
つまり国が変わってしまう。まったく別の国になって、今までの歴史的積み重ねが無くなってしまう。だから中国は歴史が長いと言いながらも、王朝が変わるごとに国の歴史的・文化的根幹がリセットされてしまう。それが有史以来延々と続いているから、庶民の側からすれば、喰わしてくれるならどんな王朝でもいいんですよ。たとえそれが漢民族以外の異国の民族が支配する王朝であろうが。飯を喰わしてくれる王朝が良い王朝だと。
そういう意味では、近代で言うところの国家意識・国民意識というか、国を尊ぶ意識が中国では生まれにくい。だから人々は一族や、利害が一致し信用できる人だけを大切にする。そこではかろうじて中国人らしい美徳というか生き方というのは保たれていますよ。だけどそれが国の風紀全般には浸透していかない。そして、そのような自分の一族郎党のみを大切にする傾向は、公共心の欠如や官僚の極度の腐敗を招く。良く言えば、国がたとえどのようになろうと、自分達だけは生き延びていくというしぶとさを身につけている。悪く言えば、自分さえ良ければよい、自分達一族さえ良ければよい。そのためには賄賂なんか全然OKですよと。だから官僚の汚職も日常茶飯事になる。そういったことに精神的な歯止めが全くきかない。そうすると、それらを押さえるためには、何らかの道徳的強制力が必要になりますね。
結局そういう状況下で、やむにやまれぬ必要に迫られて作られたのが「聖人の道」なんだと。これが宣長の分析なんです。
逆に「聖人の道」が行われていないから「聖人の道」が語られることになった。
そういうことです。そのようにここの部分は読んでもらえれば理解しやすいと思います。“漢意(からごころ)”というのは論理的な整合性ですべてを割り切ろうとする。ひとつの視点からすべての物事を論定して、良いとか悪いとかの善悪を決め付ける。仰々しくあげつらう。それによって物事の価値を定め、一つの論理的観念体系の中に位置づけていくわけなんですね。
少し話し外れるのかもしれませんけど、“漢意(からごころ)”というのは中国という範囲に留まるものではない。それはある意味では、いまの時代と照らし合わせて考えてみると“洋意(ようごころ)”というのも同様の意味で使えるのかもしれない。その視点で言うならば、いまの宣長の文章は非常に示唆に富んでいるということですね。
そういうことです。まったく。“近代”というものは、世の中のすべての人が幸せである、ひとりとして不幸な人がいない状態を、ある種超越的な最高価値として予め想定している。そしてそれは、社会システムの合理的変革によって必ず実現できるという、ある種盲目的な「信仰」を前提として成り立っているんですね。表には出ないけれど、そこには一種の「理念信仰」が、紛う方なく隠されているということは、少し分析してみればわかります。だから現代では、そういった超越的価値を実現するために必要と考えられるシステムや制度は、盲目的に善とされる。例えば能力主義や機会平等主義。どんな人にでも「君」になるチャンスがある。とにかく才能や力があり、人心を掌握さえできれば、誰でも国のトップになることができる。
「賤しき奴も、たちまちに君ともなれば、上とある人は、下なる人に奪はれじとかまへ、下なるは、上のひまをうかゞひて、うばゝむとはかりて、かたみに仇みつゝ、古より國治まりがたくなも有ける。」(笑)
(笑)いまの世界の政治状況。いまの先進国で起こっている政治そのままですよ。
どのような時代でも似たようなものなんでしょうけれどねぇ(笑)
そうですね。結局、国主の権威を根底で支える基盤が「力」しかない。国主たりうる根拠が、大多数の民衆を手懷ける「力」を持っていたから、ということになっている。この「力」というのは、時代によって変わります。ある時代は武力であり、今の時代は「数は力」、すなわち多数を占める世論の支持であるのかもしれない。
これは全く荒唐無稽な考えですが、古代中国において選挙があったとしたならば、時の皇帝というのは民衆から圧倒的な支持を得て当選していたかもしれませんよ。その世を平定し戦乱の世から救って、民衆に安寧をもたらしているのですから。
国主たりうる根拠としての「力」を得る手段の違いだけであって、この構造は、基本的に現代社会にも通じる。先ほども言いましたが、近代主義そのものが、世の中のすべての人が幸せである、ひとりとして不幸な人がいない状態を、ある種超越的な最高価値として予め想定しているわけですが、それを実現する手段は、万人にとってあくまで合理的なものでなくてはならない。だから訳のわからない世襲などといった、論理で割り切れない部分を交えてはいけないのだと。
「すべての人が幸せ」なんて、まさにユートピアですね。“いま”ではなく、必ず“未来”に投機されているユートピア。
ユートピアなんです。近代主義とは、その観念上のユートピアに、合理的思考を駆使して限りなく近づいていこうとする、ある種宗教的ともいえる思想運動なんですね。科学的合理性に基いた社会システムの改造とイデオロギー教育によって体制と人心を変革し、すべてをユートピアの状態に近づけようとする。
例えば、共産主義を考えるとよくわかると思います。さまざまな学者が共産主義は一神教のバージョン違いでしかないと言っているように、共産主義の場合も、最終的に世界全体がキリスト教における「神の国」に匹敵するような、階級差別の無い理想社会に至るという(笑)そんなものは、いままで過去の歴史において一度も実現されたことはなさそうだし、これから未来にそのようになるかどうかについては何の保証もない。要するに、そのように考えなければこの世は夢も希望もないじゃないかと言ったレベルの盲目的願望の下に信じられているのに過ぎない。こういう構造を見るならば、この宣長の言葉というのは古代中国だけに留まることなく、近代社会にも通用するものといえるでしょうね。。
そういう風に読んでもらえると「あぁ、なるほどなぁ」と思っていただける面もあるのではないですか。
逆にいまの時代には余計によくわかるという部分があるのかもしれないですね。
なぜ国は安定しないんだ、なぜ良い指導者が出てこないんだと。常に世界中で言われていますね。もっと良い政治家が、精錬潔白で国民のことをいつも第一に考えて、無私で働いてくれるような指導者が出てきて欲しいと。常にないものねだりのようなことを言っている。そして時折そのような人物が出てきたと思ったら、2~3年するとどうもなんだか違うといって、今度は攻撃し始める。その人物も次第に腐敗してくる。
というのも、その人物が誰かを引き摺り下ろすことによってその地位に上り詰めてきた人なのであって(笑)そのような引き摺り下ろして地位を得たような人が下々のことを考えられるのかというとなかなかそうはいかないでしょう(笑)
しかしわれわれは何の疑問も持たずに、そのような素晴らしい指導者がいつか必ず現れる。そしてそのような人物を、われわれ民衆は選挙を通して見つけ出すことができるという、何か呆れる程の楽観的見方を持っているんですね。この楽観には、事実に裏付けられた何らかの根拠があるわけでもないのにね。 これは、一神教における「救世主」の出現を待望する信仰とそっくりですね。
その予感と同時に、いわゆる論理的なもっともらしさがあるということですね。
そうです。手段が論理的であるから当然結果も論理的に現れるという信仰がそこにはあるんですよ(笑)その理想を“真理”と言うんですね。それはある意味、信仰とも言っても良いのではないですか。
現実を虚構の世界に近づけようとしているんですよ。現実を直視するのではなく、現実に対して理念を持ってきて、現実を力ずくで“観念的理想世界”に近づけようとする。これはある意味では必ず現実世界と衝突します。さまざまな面で。
ある意味、イデオロギーの権化たる創唱宗教の成り立ちから考えると当然の帰結だとも言えますね。
そうです。現実の世界は理屈通りにいってくれないからです。そうすると、今度は社会が未発達であるからとか、人間が啓蒙されていないからだとかの理由付けをして、その“教え”を なんとしても守ろうとするんですね。これが共産主義をはじめとする近代主義イデオロギーを信奉していた人々に共通する性質ですね。
とにかく“真理”は否定しない。現実が悪いんだと。理想を実現できないのは現実が未発達だからだと。進化していないからのだと。
つまり民主主義的な選挙において選ばれた人間がきちんと“神の国”を作ってくれることができなかった。それは何が悪いのか。その人物が悪いんだと(笑)
そのやり方にすべて原因がある(笑) 真理は正しかったのだけどやった人とやり方が悪かったのだと(笑)
選ばれたこいつが悪いんだと(笑)その人個人が悪いとやっている。しかしその時に実際にはそのシステムが悪いんじゃないのと言ったら袋叩きにされてしまう(笑)
そういうことです。それはなぜかというとシステムは論理的だからです。論理的なものは理性的である。理性的なものは実現する。「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」。逆に言えば、「非理性的なものは非現実的であり、非現実的なものは非理性的である」。誰です?これに似たことを言ったのは。(笑)
誰か言っていますね(笑)ヨーロッパのほうで誰か言いましたね(笑)ヘーゲルとか言う人が「理性的なものが現実的である」と。
だけど論理が理性的であったとしても答えが理性的であるかというのもまたまったく別のものであるし、そもそも答えは理性的なものになるという保証がどこにあるのかということも指摘できますよね。
それをすべて人々と世界の未発達に責任をなすりつけて行く限り、いつまでたっても永遠にダッチロールを繰り返していくしかない。それが近代主義思想を現実世界に実現したときの、偽らざる姿でしょうかね。
それが論理的な正しさということで言うならば科学信仰。科学的に論理的に正しいということ自体が“漢意(からごころ)”そのものだと言えますね。
手段が合理的で正しくさえあれば、必ず結果は合理的で正しいものとなるのだという。ここに一種の信仰 があるような気がしますね。
科学がそれだけ発達して正しいのであるならば未来はすべて予測できるはずですよね。だけれど科学は所詮、変数を限ることによってのみ成り立つものですよね。変数を3つ、4つ、5つ ……と増やしていくと「わたしにはわかりません」とオーバーフローしてしまう。しかし世の中自体、その変数は限りなく無数に同時並行で存在している。
先程も言いましたが、昔から中国には、ある意味での能力主義、機会平等主義。「力(能力)」さえあれば、出自や血統によらず、すべての人に「君」となるチャンスがあった。それは基本的に現代も同じ。ただ「力」の獲得手段が違うだけ。現代においては「数は力」、選挙制度を通じた世論によって「君」となる。中華世界のように、武力も含めた「力」によってなるのではない。しかし、どちらも最終的に多数の人々を手懷ける「力(能力)」を得たから「君」になれたのであって、出自や血統ではなく「力(能力)」にって「君」となるという、基本的な構図はあまり変わらないですね。
ところが今の人は、こういった中国の過去の時代は、近代社会とは全く異なる弱肉強食の野蛮な世界だったのだと。民衆の自立意識や民度は低く、為政者も民衆から搾取することしか考えていない暗黒の時代だった。だから、われわれ現代社会とは全く比較の対象にならない。完全に別物のだと断定する。現代の私達の社会システムは、より合理的で進歩しているから、武力も含めた「力」で政権を奪取するような野蛮なことは、絶対に起こらない。そして民主主義、すなわち大衆の世論を大切にすれば、必ず最良の指導者と政策を見出すことができると思っている。こういう人というのは結構いると思うんです。
結構どころではなく、ほとんどの人たちがそのように信じ込んでいる。
でもよく見てみれば、権力を奪取し維持する構造は、中華世界とあまり変わらない。「力(能力)」があることこそ「君」たる根拠。ある意味、五十歩百歩ですね。だから、お上(かみ)は常に「力」すなわち権力を失うことを恐れ、失わないように努力する。失わないために何をやるのかというと、下々の者を喜ばせる。支持を失わないようにする。これは昔においては諸侯を優遇すること。自分達の政権に直結する勢力に対しては優遇する。当然民衆に対しても善政を敷かなければならない。そうしなければ直ぐに反乱が起こります。
確か中国に「民は水、君は舟」といったことわざがありますよ。つまり、水が安定しなければ船も安全に進めないように、民を安んじなければ、君の地位も安定しない。だから中国では、唐王朝の名君といわれた太宗皇帝の素晴らしい治世とその業績を記した『貞観政要』のような書物が著されている。この書物は日本でもかなり研究されましたが、中国の歴代皇帝もそれをよく研究したのですね。このようにやれば民(たみ)は信服する。多少の苦しい徴税であっても、君主にしっかりと誠さえ通っていれば、徳さえあれば大丈夫。やっていることに筋道さえ通っていれば民衆は納得してくれるんだと。そのためには、皇帝自ら常に自分を厳しく律することが必要とされる。
これは儒教的政治の理想、すなわち「徳の力」による政治、「徳治」を歴代皇帝が実践しようとしたことを意味します。そして、もちろん例外は多いですが、実際に過去の歴代皇帝は、少なくとも建前上はそれをやろうとした。やっているように見せようとした。特に各王朝の二代とか三代ぐらいまでは、名君といわれる皇帝が結構出てきているんですよ。このように昔の中国 においては、武力だけでなく「徳の力」がとても重視されたのです。「徳の力」こそ、君主たる所以なんですね。
しかしその後だんだんと(笑)
これは今だってまったく同じですよ。中国共産党も権力を奪取した当初は、できるだけ汚職の無い政治を行おうと努力し、官僚腐敗に対しては非常に厳しい対処をした。周恩来のような清廉で有徳な政治家も出た。しかしその後どうなったかはよくご存知でしょう。このように各王朝も、創業の当初は徳のある君主が出てくる。しかしその王朝の最後の代まで善政を全うすることは皆無ですね。必ず途中で大きな問題を起こし、混乱を生じて民心が離反、国内に分派を生じて次なる勢力に奪われる。その勢力もまた一時的には善政を敷くけれども、また民心が離反する。それを繰り返していくというように、常に堂堂巡りをしている。
安定していない。社会の基本軸が定まっていない。過去の経験が蓄積されていかない。なぜかというと、先にも言いましたが、その都度、国がまったく変わってしまうから。国の根幹をなす統治機構や支配者のみならず、国柄(国体)そのものが大きく変わってしまう。支配する民族すら変わってしまう。
その点、易姓革命の背景となっている孟子の考え方が日本ではほとんど受け入れられなかったというのは非常に示唆的ですよね。“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”の統べる大御国 には孟子の考え方は広がらなかったというのは非常に示唆的ですよね。
理(ことわり)が尊いから、そのことが尊いのではないのですよ。尊いものは尊い。そこを最終的に司っているのは宣長の言う“情(じょう)”なんです。“情(じょう)”というと何か具体的な感情の一種のように思われるかもしれないですが、正確に言うとそうではない。
“真心(まごころ)”の状態、つまり“漢意(からごころ)”なく「物(もの)」と直接コンタクトした刹那に生まれ出る一種の“あわれ(=深く心に感じる時に思わず発せられる辞。哀しみには限らない)”。「あぁ」と言葉にもならない、言葉に結晶化する直前の「心の色」。歌で言うと「調べ」。対象と一体(主客未分)となりながらも、同時に自己を客体化というか、少し離れたところからその「心の色」を眺めている状態。対象と心は一体となりながら、存在の「奇異(くすしあやし)さ」に、はっきり気づき覚醒している状態。そこから生まれ出る何とも言えないしみじみとした感慨。それを宣長は“情(じょう)”と言っているのですね。
それでは次の文章に行きます。
いま読み上げた内容そのままですね(笑)
これを語釈をしつつ現代語訳していくと、
「其が中に、威力あり智り深くて、人をなつけ、人の国を奪い取て、」。その中で勢力をもち、知恵も深くて、人々を懐柔し、他人の国を奪い取って。
なぜ奪い取るのかというと、元々持っている人がいるから。中華世界における国の誕生は、どれも他人の国(政権)を簒奪することから始まる。
「又人にうばわるまじき事量をよくして、」。再び他人に奪われないようによく計画し。
今度は国を奪った創業期から守成期に入る。自分の国を存続しなければならないわけですからね。そうなると今度は、他人から国を奪われないように配慮する。どうやったら奪われないか、知惠の限りを尽して、うまく巧妙にやる。
「しばし国をよく治めて、後の法ともなしたる人をもろこしには聖人とぞ云うなる。」。しばらくの間、国をよく治めて、後世の規範ともなった人を、漢土では聖人と言っているのだと。これはそのままですね。
“聖人”というのは、ここで書いてあるように非常に智りが深く、知惠が働く。その知惠とは、人を懐柔する「力(ちから)」のこと。人心掌握術。それによって、権力を掌握したら再び他人に奪われないように、様々な面で配慮することができる。どこからもなるべく不満が出ないように。
国には、利害関係や立場の異なる多くの人々がいるわけです。自分の身内だけで治めているわけではない。自分の一族郎党、息のかかった、利害の共通する人々ばかりを大切にしていると、必ず他に不満が溜まってしまう。その部分を上手く処理していく。論功行賞を目に見える形でしっかりと行って、それに偏りがないようにする。
そのように奪った国を上手く治めることのできたやり方を、「法」と言って、これが「聖人の道」の実質をなしているんです。そこで示されている様々な手法やシステム、社会制度。これが儒教でもっとも尊ばれているものなんですね。
正確に言うと、有子などが「先王(せんのう)の道」と名付け、聖人視された古代の帝王によって創始された政治、社会制度、文化慣習、すなわち国の秩序を維持する基本となる「礼楽刑政(礼儀、音楽、刑罰、政令)」の総体。これを「聖人の道」と称して理想化しているわけです。
だからここには、いかにして多くの人々を満足をさせ、自分たち為政者に対する信頼を失わさないようにするための方法、言い換えれば為政者が国を失わないための様々なテクニックや手法が詰まっているわけです。
言うなればそれを書としてまとめた孔子というのは。。。
まとめたのは孔子だけではありませんが、それが四書五経とか六経ですね。古来儒教の聖典ですよ。四書は南宋の朱熹による区分で、「論語」・「大学」・「中庸」・「孟子」。六経は「易経」・「書経」・「詩経」・「礼記」・「春秋」・「楽経」のこの六つ。そこに儒教思想の核心が説かれている。これらが聖典ですね。宗教で言うと教典。
率直な言い方をすると究極の“How to”本ですよね。
そう。人と国を治めるための“How to”本。それは儒家の流れを汲む思想家や歴史家などによって書かれている。そこには儒教を宣揚しようとする意図もあるし、聖人としての理想化もあると言われています。けれども基本的には、こういうことをやれば人と国は治まるといったことが書かれている。そしてその内容の主人公は、三皇五帝を始めとした聖人達です。彼らは後世の儒家の頭の中で聖人として観念化されているので、世界の全てを知り尽くした完全無缺の神のような存在となっている。これが中国における聖人なんです。
では、次に行きます。
「たとへば、亂れたる世には、戰にならふゆゑに、おのづから名將おほくいでくるが如く、」。たとえば乱れた世には戦さに慣れることになりますね。常に戦乱の世だから戦いがある。そうすると当然の結果として名将というのが数多く出てくる。戦乱自体なければ名将は出てこない。経験がなければ出てこないですね。
「國の風俗あしくして、治まりがたきを、あながちに治めむとするから、」それと同じように国の風俗(ならわし)があるのだと。この風俗というのは、いまの現代語での趣とは異なって、その国を特徴づける風紀、つまり人々の習慣や慣習についての規律といったもの。その風紀が悪く、治まりがたいところを強いて、むやみに力づくで治めようとするから。
「世々にそのすべをさまざま思ひめぐらし、爲ならひたるゆゑに、」。各時代その手段をいろいろと考え回し、実行し慣れたので。つまり、その世その世で治世の術をさまざまに試行錯誤しながら編み出していった。治まりがたいものをどうやって治めようか、さまざまに智恵を駆使してノウハウを蓄積していったわけですね。だから当時の皇帝というのは、いろんな人の声を聞いた。施政においても、独断で行うのでなく多くの賢人の智恵を借りたわけです。名君と呼ばれた人は皆、これをやっている。そして諫言耳に痛しだけれども、それが良薬のように効いてくるわけです。だから名君は必ず厳しいことを言う「諫臣」を身近に置いたんですね。唐代に「貞観の治」を実現した太宗皇帝は、魏徴という、常に民の声を聞きつつ施政を厳しく批判する臣下を「諫臣」として置いたわけです。そうした人々の考えを聞きながらいろいろと考えていくわけですよ。
「しかかしこき人どももいできつるなりけり。」このような背景から、治世の術に長けた賢い人物が多く出てきたのだ、ということを言っているわけです。
だから必要に応じてこれは出てきたんだと。そういった状況があった。必要は発明の母だと言うのと同じで、もともと中国の風土が“聖人”を産むような風土だった。何もないところにそのようなものが生まれてきたんではないんです。
逆に言うと、それがないと治まりがつかないから出てきているんだということですね。
そうですね。漢意(からごころ)の強い中国において、国を治めるというのは一筋縄では行かないから、常に物事の一歩先、二歩先を考えていく必要があるわけです。そのときの状況に関係なく、いつもこれさえやっていれば大丈夫という特効薬めいた手法は、そう簡単には見つけ出せない。もっともっと、より工夫してより工夫してとなってくる。そういう形で追求していくから、その過程というのはとても論理的になる。現象が出てきて、それに対してこうすれば良いのじゃないかと理詰めで考えて解決策を出してくるわけだから。
だからこそ後世の人が、儒教の聖典に記されている、現象に対する論理的分析から生み出された治世の術を読むと、“なるほど!”と腑に落ちるようにわかるわけです。これは素晴らしいと。手法そのものに信服していく。それがわかりやすくて論理的であるということだけで、書かれている結論を含めて、全てを信用してしまうんですね。そして、それを“真理”として確信していった人たちが儒家と言われる人たちですね。
これさえ守れば世の中はうまくいくのだよと。これを読んでください。すごいですよ!どから見ても間違いないでしょ ! ! と。
立派ですね(笑)
立派ですよ。どこから見てもケチの付けようがない。問題は、この教えを実際に実行できるかどうかだけ。それができないのは為政者に徳が無いからなんだよと。だからこの君主は駄目なんだと。
そんな君主なんか引き摺り下ろしてしまえということですね(笑)
最終的にはそうなんです。その人ができないのであるならば、天は他の人を見つけてきて、その人を「君」として草莽の中から引き上げてくるんだと。それが易姓革命という思想ですね。
ここで宣長が書いているのは、中国の国が何も特別な国だったからそうなったのではなくて、このように風俗が悪しく、治まりがたいところをいかに治めるのか。そこがそもそもの出発点であったからこそ、結果として“聖人”というものが出てきたんだと。“聖人”が生まれたのは、そのような者が出現せざるを得ない状況があったからなんだということです。
そしてこれは、儒教の聖人だけでなく、創唱宗教における絶対的教祖の出現にも、全く同様に当てはまります。仏教における釈迦、キリスト教におけるイエス。全て当時の社会における根本的基軸を担っていた宗教思想の混迷状態の中で、儒教の聖人同様、それを救うために「救世主」として、必要に迫られて出現したといってよい。
逆にこのような名将や“聖人”と呼ばれているような人がいない状況のほうが、実は人々は幸せである可能性が出てくるということですね(笑)
そこまで手練手管を尽くさなくても、もし治まるのであれば。皆が不満を持たないのであるならばそれにこしたことはないでしょうが。現代ののわれわれが考えると、そのような無策では、世の中は絶対にうまく治まらないと思うでしょうね。
というのは、今でも常にシステム論じゃないですか。社会をどのようなシステムにすれば、公平にすべての人が満足するのかと。ず~っと研究しているわけですよ。政治においても経済においても。数多の学者が学説を出し、論理的にその学説を検証して、この学説は間違いではないと。確かにその通りだと。この学説の通り実施していくならば、この学説が結論付けている素晴らしい世界状況は必ず生まれるのだと。その意味では世界中の多くの人々が、20世紀における共産主義思想に麻疹にかかったように引きつけられたのは、まさに典型的ですね。
若い人であればあるほどね、強くその魅力に囚われてしまった。
論理的に麗しいですからね。
麗しいですから。だけどその理論が論理的に正しいのと、それを実行した結果が本当に良くなるかどうかは、全く別なんですね。
別の問題ですね(笑)
話は少し脱線しますが、科学における電気回路のさまざまな法則がありますね。でも実際の現象は、これら法則の通りに動いているわけではないですよ。電気だけでなく、実は自然界の現象は全てそうなんです。法則通りに動いている現象なんて、実は一つも存在しない。確かに一定の特殊な条件を人為的に作り出せば、近似の状態は生まれます。しかし、例えば電気の世界で言えば、抵抗がゼロの導体なんか世の中に一つもないわけです。トランジスタの中の電子の動きにしても、理論で明らかになっている通りではない。いくら理想的な状態を想定して設計しても、結局は現実に使われている素材によって、さまざまな面で不具合が出て、理論値通りに電圧増幅されないといった現象が起こってくる。これはもう理論と現実の違い。どれだけ理論が発達したって、現象は理論通りに行かないわけです。それは物質界においてすらそうですよ。まして人心においては。
話を本題に戻すと、ここで宣長が言っているのは、「聖人」であれ「道」であれ、必要があったから生まれてきたんだと。中国はそれらが必要であるような風俗(ならわし)だったんだと。素晴らしい人たちが、何の必然性もなく生まれてきたのではないのだと。そもそも、そういった風土があったんだと。そして、そういったものが生まれてこざるを得ない風土は、決して良いものではないんだと。 まして羨む必要など全く無いのだと。
現代で考えると皆が政治に興味を持っている状態というのは、実は政治が悪い状態であるということなのであって治まりがたい状態なんだと(笑)
“聖人”が生まれてこざるを得ない状況。聖人は人々の待望があってこそ生まれてくるんです。待望があるというのはそれに耐えられない現実があるということです。
なので、そのような“聖人”が出ることもなく名将も出ない状況。そして政治に全然関心が寄せられていない状況。実はそれこそ太平なんですよね。
そうです。ここでひとつ問題が起こるのは、儒教では、そういった“聖人”によって、一つの完璧な理想社会が、遙か古(いにしえ)の先王の時代に、すでに実現されていたとされていることです。そうすると、過去において完全な理想社会が一度実現されてしまっているが故に、それとの比較によって、今の世の中というのが、実際以上に良くない世の中なのだと人々に感じさせることになってしまう。常に現在の世が、過去に実現された理想社会からの頽落状態と感じられてしまう。
それは“理想”というものが始まったと同時に合わせて発生している。ニワトリが先か卵が先かという問題ですね。
虚構で作り上げられたものであったとしても、それが一旦“真理”とされてしまうと、現実というのは常にもの足りないもの、不正なものになってしまうんです。そのような虚構がないときは、多少なりとも満足できたことが、すべて我慢できなくなってしまうんですね。
少なくともそれが中国においては三皇五帝ということで出ている。それが逆に、孔子以前ということで、遠い昔のことになっているわけじゃないですか。だけれどもそれが遠い昔であっても、それがこれから先にある遠い未来であったとしてもそれは結局は同じ構図なんですよね。
同じ事です。それを裏返しにすると、未来において“神の国”すなわち理想世界が必ず到来するのだという構図になるわけです。現実は暗黒だから、現実をわれわれの力で変えていこうと。これは例えばキリスト教において、教会のみが悪魔の支配する暗黒の世の中から人々を救う助け舟なのだとされているのに似ています。信者はその使命を持った人々。
未来に理想が必ず実現するという虚構を設定することによって、思い通りにならない現実を耐える力を人々に与えている。同時に、必要以上に現実というものを罪悪視するから、常に現実はもの足りない、我慢できない代物となってしまう。それは、必要以上に現実を変えていこうという飽くなき姿勢を生み出す。改革は絶対的に善であるという盲目的な思い込み。それは現在の状況に対し、必要以上の不満を発生させるんです。
“いま”という瞬間にですね。
そうです。それは未来において、あるいは過去において、そのような理想状態が“あった・あるに違いない”という確証不十分な“観念的虚構”を真理であると思い込んだことから発生している。その思い込みを支えているのは、それを語った“聖人”たちへの信頼感です。“聖人”が言っている、または救世主である“教組”が言っているから、これは絶対的に疑いようがないとされている。このような観念が横行している状況下では、人々は今の世の中に安住することは許されない。
常に不満状態に押しやられてしまう。
そういうことです。この構造というのは、経済のシステムにおいても同じように働いています。常に現状にとどまることなく、余剰がさらなる余剰を生み出すことを求め続ける。常にイノベーション、イノベーション。飽くなき革新と成長のスパイラル。
つまり社会の中における余剰価値というのが社会・経済を動かしているわけじゃないですか。その余剰価値というのは現状に対する不満価値ということで考えてもいいわけですね(笑)その余剰価値という不満の価値が循環を一周することで余剰の不満が増幅し、増幅する推進力を生んでいく。
以前の回で、神道では常に新しきもの新しきものという形で現状は常に生まれに生まれ、また新たになっていくことを尊ぶということを言いましたね。一見これは先ほど言った「革新と成長のスパイラル」と似ているようなんですけれど、神道の場合は現状に対しての不満とか恨みとかがないんです。そもそもそういった理想の世界があってという観念そのものがないし、その理想を説いた特定の教祖もいないですから。
改めてよくよく考えてみると本当に理想はないですね(笑)どこがいわゆるユートピアなのかというのがどこにもないですよね(笑)
宣長の言う“漢意(からごころ)”とは、「物」や「事」に外側から付着し、「物」や「事」を規定(限定化)し、概念や観念として実体化する全ての認識方法をいうのですが、それでは彼の尊ぶ“大和心(やまとごころ)”というのは何かというと、この“漢意(からごころ)”を取り去った心のことで、“真心(まごころ)”のことです。この“真心(まごころ)”とは、すなわち生まれながらの心のことですから、そのようなものは別に究極の理想として仰ぎ見るようなものでもなんでもないですよ。簡単に言えば、「うれしい時はうれしい、悲しい時は悲しい、恋しい時は恋しい、さびしい時はさびしい」と、事に触れてありのままに動く心を、宣長は「真心(まごころ)」と言っているのですからね。
いつどこでも普通に生きていれば実現できるもので。子供なんかは全部持っていますよ。しかし理屈で考えると、そんなものがどうして尊ばれるのかということになってしまう。現代のインテリと称する人などからは、未発達な時代の幼稚な観念にすぎないと言われてしまう(笑)こういった人には、なかなか理解させることが難しいですね。
ところで宣長の学問は国学と分類されているのですが、彼の言う“大和心(やまとごころ)”というのは、先にも言ったように“漢意(からごころ)”のない心、すなわち“真心(まごころ)”をいうのですから、突き詰めれば、これは何も日本固有のものではないんです。彼によれば、世界のどこにもあるものなんです。これはある意味すごいことですよ。日本人の根底にある精神の型ともいわれている“大和心(やまとごころ)”すなわち“日本の心”が、本来的には日本に限定されたものではない、と言っているわけですから。
宣長はこれを『玉くしげ』の冒頭で言っていますね。
「まことの道は、天地の間(あいだ)にわたりて、何(いづ)れの国までも、同じくただ一(ひと)すぢなり。」
世界のどこでも同じなんだと。“まことの道”の中心には、当然“大和心(やまとごころ)”すなわち“真心(まごころ)”があります。ただ、
「然るに此(この)道、ひとり皇国(みくに)にのみ正しく伝はりて、外国にはみな、上古より既にその伝来を失へり。」
日本以外の国は“漢意(からごころ)”によって“まことの道”が全く別のものに置換されて、その本来の姿を失っているんだと。それに対し、わが国では“漢意(からごころ)”に染められることなく、上古より朽ちることなく“まことの道”がそのまま残っているんだと。そこが違うんだと。突き詰めていけば、宣長の場合、国学と言いながら究極のところで国の概念が消えてしまうんですよ。
最深部に行けば行くほど、これはどこの国であっても、人が生まれてきたならば“産霊の御霊(むすびのみたま)”によって“大和心(やまとごころ)”すなわち“真心(まごころ)”は、生まれながらに授けられているのであって、外国でも“漢意(からごころ)”に曇らされさえしていなければ、必ず残っているに違いないんだと。
その証拠に中国でも、儒家によって虚誕として排斥された盤古氏(はんこし)の伝説がある。そこには盤古氏の左右の眼が日月となったことが説かれている。これなど、わが国のイザナギ神が眼を洗ったところから太陽である天照大神と月である月読命(つくよみのみこと)が生まれたとする古伝説ととてもよく似ている。いうまでもなくわが国の古伝説は、“漢意(からごころ)”のない人々によって“真心(まごころ)”のままに感じられ受けとめられた“出来事(事象)”が、素直にそのままの形で伝えられてきたものだから、“漢意(からごころ)”さえなければ、外国でもわが国の“神代の古事(かみよのふること)”と似た形で “まことの道”が伝わったに違いない。宣長はそのように考えるのですね。
そこの部分が“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”の「しろしめす」大御国は素晴らしいんだと。それはいわゆる日本をイデオロギー的に言って、尊いのだと言っているわけではない。そこの部分がみんな誤読されてしまっている。
誤読されてしまっている。
だけど実際は、そのように見る視線の保ち方が重要なのであって、それがたまたま日本に残っていますね。素直に残っていますねという。。。
素直に残っている。未だに日の出に手を合わせる。そういった古(いにしえ)の心を智恵で曇らすことなく、変に賢こぶることもなく、今に至るまでそのままに受け継いできている非常に素直な気質の国民なんだと。“大和心(やまとごころ)”と名前をつけているけれども宣長によれば、“漢意(からごころ)”に曇らされさえしていなければ、これはどこの国の人でも心の底に持っている。だから“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”はどこの国にとっても尊い存在なんだと。
当たり前ですよ。太陽信仰は昔、世界のどこにでもあったんです。それが世界宗教に覆われることにより、別の教義体系・世界体系、すなわち論理的に納得できる観念体系に組み込まれる中で、唯一絶対神やダルマ(真理)にその座を奪われることになったのです。尊ぶべき対象が、具体的な実在物から観念的な存在にすっかり置き換えられてしまった。
話を元に戻すと、宣長の国学がその深奥に蔵するこの特殊性を、しっかりと留意してもらいたいですね。
「国学」と言いながら、“大和心(やまとごころ)”といいながら、日本の国だけに止まるものではない。あたかも“漢意(からごころ)”が中国だけに止まるものではないように。宣長は“大和心(やまとごころ)”のことを、“古心(いにしえごころ)”とか“随神の道(かんながらのみち)”とか、さまざまに別の言葉で表現していますね。
それはイデオロギー化されていない「あるもの」。つまり、何か概念的な定義をもった、最高価値として位置づけられた「理想の境地」などというものではなくてね。
ここの辺を考えると、あえて脱線すると、ドイツの哲学者ハイデガーの言う「形而上学以前」、つまり「存在(Sein)そのもの」に似ているというか。またニーチェが言った「キリスト教以前」、あるいは古代ギリシャの「ソクラテス以前」に戻ろうという西洋近代における思想運動にも少し重なる部分はありますね。
一般的に最近興味を持たれている分野というのにケルトとかバイキングとかがあるわけじゃないですか。あそこの文化が日本と繋がっているのではないかという人たちがいますね。そもそもそんなものではなくて、世界中どこでもそうだったんだと考えれば何も不思議はないんですよね(笑)ただ単に、うまくそれが日本に残っていた。素直な国民がそのまんまの形で残していただけだということで理解しても大丈夫なわけですよね。
大丈夫と言いたいところなんですが、ここで話のレベルをさらに深めて言うならば、実はその理解の仕方こそ大きな問題をはらんでいるんです。あなたが先ほども「それがたまたま日本に残っていただけ」と言われましたが、宣長に言わせると、その「たまたま」のところにこそ「神の御所為(みしわざ)」を見るのですね。つまり我々人間の智恵から見れば「たまたま」であっても、神々から見れば「必然」。なぜ「まことの道」すなわち“古心(いにしえごころ)”が日本にだけ残ったのか?その本当の理由は我々の智恵では到底わからない。それは「奇異(くすしあやし)き神々の経綸」としてそうなったとしか言いようがない。
これは事と理を立て分けて考えてみるとわかりやすいかもしれません。「理」で見るならば、“漢意(からごころ)”のない心、すなわち“古心(いにしえごころ)”は世界中どこの国の人でも皆持っている。論理的には当然の帰結ですね。しかし、「事」で見るならば、「此(この)道、ひとり皇国(みくに)にのみ正しく伝はりて、外国にはみな、上古より既にその伝来を失へり。」ということになるのですね。つまり今では外国にはほとんど残っていないという事実。この事実における大きな隔たりは一体何を意味するのでしょう。
そして宣長のいう“漢意(からごころ)”のない「古学も眼」においては、「事」を「理」で見るのではなくて、「事」を「事」として見るということが最も大切になるんですね。宣長の言った「我は神代を以(もっ)て人事(ひとのうえ)を知れり」という言葉も、このことと関係があります。
他の国ではなく、日本にだけ“古心(いにしえごころ)”が残った。そこには人智を超えた何らかの因縁があるのであって、我が国の古伝説にはそれを示唆することが少しだけ書かれている。しかしながら、それは現代の我々が読んで、論理的に納得できるようなものではないし、下手をすると「何だこれは」と荒唐無稽に思われてしまうものではある。
だけれども「事(こと)」から見るならば、“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”の御子に連なる世々の“天皇(スメラギ)”が、“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”の御心(みこころ)を御心(みこころ)として、「事(こと)」を「事(こと)」としてそのままに、我が国を今に至るまで久しく「しろしめ」してきた。
そこにはさまざまな外来宗教の流入や、社会システムの大きな変遷がありながらも、“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”すなわち太陽が国の尊崇の中心にあり続けてきたという事実。その事実を「理」でなく、「事」としてそのままに見たとき、そこに何か不思議な感慨を覚えるのではないでしょうか。我々の智恵でははっきりとした理由は分からないけれど、他の国では遥か昔に滅びてしまった“古心(いにしえごころ)”が、我が国にだけ残っているのですからね。宣長に言わせれば、そこには明らかに「神の御所為(みしわざ)」が働いているとしか言いようがない。だからこそ皇大御国(すめらおおみくに=日本)は、万国(よろづのくに)の“元つ国(モトツクニ)”なんだと。「事」から言えば、そういうことなんですね。
ここで少し話を変えて、昨今何かと話題になっている「愛国心」について、宣長の言う文脈で考えて見ましょうか。
人は自分の生まれた共同体を尊ぶ。これは自分の家に生まれた子供を他人の家の子供よりも尊ぶのと同じ心情です。それは何か論理的な理屈があってそうなっているのではなくて、生まれながら皆その心を持っている。自分の子は可愛い、自分の近親者は他人より可愛い。身近な人に対しては、自然に愛そうという心を持つ。それがだんだんと疎遠になるにつれて、その心は少なくなっていく。
ところがそういった近親者をさしおいて、縁もゆかりも面識もない赤の他人を自分の近親者以上に好きになるなど、男女の恋愛以外ではないですよ。「これはかわいそうな人たち。自分は全世界の人たちを我が子と全く同等に愛している」と言ったとしたら、それは明らかにウソです(笑)
それと同様に、自分の生まれ育った国よりも、文化・言語・習俗の異なる他の国を愛するというのも、特殊な場合を除いて多くの場合嘘です。自分の生まれた郷土を愛するのは当たり前の感情なんです。その愛する心がなければ共同体自体が成り立たないわけですから。
近代国家の成立と共に、ナショナリズムとしての国かパトリシズムとしての国かといった二分法が出てきますが、ここではパトリシズム(愛郷心)、すなわち、元々同じ土地に住んで、同じ言語・習俗を持った文化共同体としての国ということで話をしますが、一対一の人間関係で生じる愛情というものを、その範囲を超えて不特定多数の存在にまで拡張していく場合、人は普通それを、自分に近いものから次第に遠いものに、段階を経て漸次愛情を及ぼしていく。これは自然なことです。
そうしなければ愛情の対象は、実物として血の通った、個別の生きた肌触りを失って、観念的な存在に墮してしまう。対象が観念的な虚構存在に墮してしまえば、先ほど言ったように、我が子と世界中の人たちを全く同等に愛するといった絵空事が可能になります。俗にいう「地球市民」というのと似ていますね。この考え方こそ、宣長のいう“漢意(からごころ)”なんです。
そういう人々に、「もっともらしい理屈に囚われていないで、もっと素直になりなさい。国誉めするのは人情として極めて自然。当たり前のことだ」と宣長は言っているように思えますね。そして宣長のいうこの国というのは、ホッブスなどがいった契約国家としての国ではないですよ。
言わば、自然に一家族が「向こう三軒両隣」となり、それがひとつの村になり町になり。どんどん広がっていって同じ言葉・文化を共有する地域という形で次第に広がって、歴史を経て築き上げられていった共同体。それを昔は“クニ”と言ったんです。漢語の音読みの“コク”ではないですよ。そういった“クニ”を尊ぶ心というのは、宣長によれば“産霊の御霊(むすびのみたま)”により人間に本能として予め与えられているもの。だからその本能的なものに対して素直になるというのは、全然イデオロギーでもなんでもなくて、まして国家主義でもなんでもない。
普通のこと。
当たり前のことなんですよ。
ところが多数の人々に、創唱宗教や近代主義など、特殊な教義による“漢意(からごころ)”が発生してくると、このような当たり前のことが、異常なことに見えてくる。「国や民族の違いにこだわることは愚かなことである。世界のすべての人々を分け隔てなく平等に愛すべきである。」このようなことをすべての人間に本當に要求できるのですかね。何故このようなおかしな考え、突拍子もない考えが出てくるのか。どうして人間の生まれたままの背丈から大幅に背伸びしたような考えが出てきたのか。これは先にも話しましたが、創唱宗教の場合、その“教え”が「個人の」、「きわめて特殊な精神状態」、つまり、普通の人間から見れば、「個人の幻覚」と言われても仕方ないような状態。自己と宇宙あるいは自己と神が一体化したのではないのかと思えるまでに自我を肥大化させた果ての、ある種尋常でない状態から出てきたものだから。近代主義の場合だと、現実世界を全て「理」によって一つの観念体系に還元し尽した果てに、論理思考を駆使して作り出されてきたものであるからです。
そういった過程から人為的に作り出されてくる教義(イデオロギー)においては、最終的に“善”だけで塗り固めた世界、ひとりとして不幸な人や悪人がいない世界を必然的に求めてしまうことになる。そういったものが絶対の真理として言語化された瞬間に、それは虚構された観念でありながら、ある種の実体を持ってしまう。そして、その言語化された観念(それはなかったものであるのにも関わらず)が現実すべてを逆照射してランク付けしてしまう。構造化してしまうんです。
少なくとも“善”だけで塗り固められている世界ですから“禍津日神(マガツビノカミ)”は全否定というわけですよね。
そういうことです。だから禍(まが)は決してあってはならない。もし禍(まが)が大々的に存在するということになると、彼らの根本的な信仰の柱、自分達が最も大切にしているところの「“神(理神を含む)”によって全てがコントロールされている。すべてに“神(理)”の力、“神(理)”の作用が行き渡っている。その力は唯一絶対なのだ。」という信仰が揺らいでしまう。しかもその“神(理)”は自分達の救済を保証しているのですから、これは大変なことになってしまう。もしこの信仰が揺らいでしまえば一体何が起こるのかというと、それは巨大な虚無(ニヒリズム)ですよ。底知れない虚無。
実はこれが主として近世ヨーロッパにおいて発生した大規模なニヒリズムの正体なんです。そしてそこからデカダンが出てきている。
この虚無こそキリスト教に始まって近代主義思想に至るヨーロッパの思想を影から動かしてきた原動力なんですよ。この虚無を絶対に認めまいとして、そこから必死に逃れようとして。それが信仰に対する爆発的エネルギーに形を変えて結実し、ヨーロッパにおけるさまざまな主義・思想を生み出す母体となってきた。それだけに止まらず、現実の世界においても、宗教改革や三十年戦争などをはじめとした大規模な混迷を幾度も引き起こしてきた。ドイツの国民が三十年戦争でどれだけ死んだと思いますか?
30%に減ったんでしたっけ。
一説によればそうです。
中国と一緒ですね(笑)
カトリックとプロテスタント。信奉する教義のちょっとした違いですね。「神」は同じですから。
それが、ここまで多くの人々を宗教的・形而上的価値の実現に駆り立てる力を生み出すことができた背景には、自らの信仰(=救済への確信)が揺らぐことに対する人々の恐怖心があったわけです。すなわち自分達の救済を保証している根本(=神)が否定されるということに対する恐れ。これはそういった信仰を持っている人たちにとっては想像を絶する恐怖ですよ。軽々しく言えない。
ところで、このブログでも紹介している佐藤雉鳴様が、著書
『本居宣長の古道論―図書館で読み解く「直毘霊」』
で、近代ヨーロッパにおいて、禍悪を引き起こす“禍津日神(マガツビノカミ)”の存在を認めなかったからこそ、帝政末期、ロシアのインテリゲンチァ(知識人)達がついには創造主の否定まで至らざるを得なかったことを書かれています。私はそれを読んで、大いに啓発されるところがありました。「神殺し」「神の死」には、「“禍津日神(マガツビノカミ)”の不在」という背景があったのかと。
“禍津日神(マガツビノカミ)”が存在しなかったがゆえにもの凄く土台が危うい。
だからラディカルに創造主自体の否定まで行きついたのです。理屈で説明の付かない強大な禍悪が起こったとき、これが直ぐに直ればいいですよ。でも直る見込みが全くない。不条理な上に状況はますます悪くなる。そのような状況下において、帝政末期、ロシアのインテリケンチァの中に「神の不在」という巨大な虚無が生まれたんです。ドストエフスキーなど読んでみると切実ですよね。本当に救済はあるのか。「神」はいるのかいないのか。それと同様の思想背景の中からニーチェも生まれてきている。
「神の不在」は世界に対する絶望と不信を引き起こし、それは当然「神殺し」すなわち「神」の否定という怨念(ニヒリズム)に行きつきますよ。それは底知れない虚無を伴った強大なニヒリズムです。そして「神の否定」まで行った反動として、旧来の「神への信仰」に基づいて積み重ねられてきた慣習や伝統文化、社会制度全てを根こそぎ否定するような、急進的かつ革新的で、極度に合理化された「理(り)」が出てくる。その「理(り)」に対する偏執的な信仰を支えているのは、旧来の宗教的不合理的「神」に取って代わった「理論・理性の神」なんですね。
それはなぜ出てきたのかということで考えると「亂れたる世には、戰にならふゆゑに、おのづから名將おほくいでくるが如く、」(笑)
そういうことです(笑)少し話が脱線していますけれど、これはいままでの話の中で言っておかなければならないことだったので、ここで言いますけれどね。宣長の言うように、漢国(からくに)と似て、そのような背景というか必要性があって、ヨーロッパの近代思想も生まれてきているし、我々に深遠さを感じさせるようなすぐれた文学作品や芸術、哲学思想なども出てきている。それはとりもなおさず、そのようなものを生み出さざるを得なかったまでの、精神の深刻な危機的状況があったということなんですね。
まさに宣長が言っているように、漢国(からくに)における「聖人」「聖人の道」と同様に、「唯一絶対神」といい「理論・理性の神」といい、本来はそのようなものはそもそも必要なくて、もしかしたら、無かった方がうまくいっていたのではないかと。ところが最初のところで、なくても良かったものが「あった」。正確に言うと、不幸にも特殊な状況に追い込まれて「生み出してしまった」。それを守ろうとしたがために必要以上に闇が発生し、深い闇から光明を求める必要以上の求心力が発生し、それが世の中の改革・革新運動として出て、いままでの世界をすべて否定し尽くし、人為的に作り直していこうという盲目的かつ過激な動きとして出現した。これは現実に対しての改革だとかに留まるものではなくて、現実に対する怨念。ルサンチマンですね。そこまでなってしまった。
今我々は、近代主義思想の流れを受け継いでいるところの現代の常識・判断が、歴史上最も合理的で正しく、そして社会も客観的理性に則って動いていると思っているけれども、実際には、「近代主義」と名付けられた「宗教」の、 ひとつの宗教的常識・判断に過ぎず、なおかつ宗教的信念に則って動いている社会に他ならないと言っても過言ではないでしょうね。
だから「宗教」の否定の裏返しということにおいて「宗教」なんですよね。土俵は同じなわけですから。
そうなんです。共産主義が宗教であるのと同じように。異説を一切認めない。
民主主義も同様ですよね。
一番わかりやすい例で言うと、インドのカースト制をはじめ、人類の歴史の中でいわゆる身分制度というのは非常に長い間、世界中の民族で脈々と受け継がれてきたものなわけですね。当然、それが長い間続いてきたという背景にはそれなりの理由があるはずなんですね。それなのに現代の社会常識と称するものは、身分制というのは前時代的なことだと全否定しています。しかし、果たしてそのように単純に否定することができるのでしょうか。
絶対に認めない。それが結果が良かろうとも徹底的に糾弾する。
理屈ではできますよ。悪い面を挙げようとすればいくらでも上げることができます。けれど、本当に全部が悪かったのかという視点で冷静に現実を見てみると、当然その半面があるわけです。善悪の両面がある。しかし我々は性急に「前近代的因習」と判断してしまう。自分たちの信奉する近代社会の観念に当てはまらないと、この国は遅れている、社会制度が劣悪、近代的理性が発達していない、などと上から見下すように問答無用で切り捨てている。
話が少し脱線しますけれど、自分たちの信奉する観念を共有しない人に対する、「これは自分たち人間と別種の生き物ではないか」とでも思っているかのような蔑視。これは歴史的にキリスト教が起こしてきたことですけれども、異教徒に対する徹底した敵視と迫害。中南米で起こった原住民虐殺にしろ、アフリカにおける奴隷貿易にしても、自分達の宗教を信じないものは「悪魔の教えの邪悪な信奉者」と決めつけ、非情なまでの扱いをしている。完全に彼らは、異教徒は自分たちと同じ人間ではない、と思っている。そう思っていないと、あのような残虐な仕打ちはできない。信じがたい話ですが、大航海時代、植民地の原住民の虐殺に心を痛めたある提督が、時のローマ法王に「異教徒は人であるやなしや」という手紙を送ったそうです。ローマ法王からの返書には「異教徒は人にあらず」と書いてあったそうです。つまり異教徒は皆殺しにしても構わないということですね。
これと同様な意識は、現代でもしっかり引き継がれていますよ。民主主義ではない国に対して、キリスト教徒と同様の構図で心の中で蔑んでいる。例えばイスラームに対して。四人の妻がいる、いまだに女性参政権がない、など様々な理由をつけて。
だけれどもその考え方。女性参政権は当然である。一夫一婦制は当然である。民主主義であることは当然である。この考え方は結局のところある意味ではひとつの世界観を作って、その世界観の中で信奉されているものでしかないんでね(笑)それこそまさに“漢意(からごころ)”の構築物そのものなんですよね。
同朋だけでなく他人に対しても差別せず同じように扱いたいという気持ちは、生まれながらの御霊として誰でも持っているわけです。しかしそこには自ずから節度がある。それはまさか自分の肉親よりも、全く会ったこともない赤の他人を観念的に愛することや、世界人類全てを親兄弟と差別せず同様に扱うということには決してならない。
世の中がうまくいくためには皆が仲良くしていかなければならないことは誰でもわかっている。どんな民族であっても、基本的に他人に対して心は開かれているわけです。子供を見れば分かりますね。そうでないと社会が成り立たないですから。西洋人から「未開民族」とされている人々になると、余計にそうです。ハワイの原住民やインディオのように西洋人が侵略で来ているのに歓迎しているわけですよ。遠方から来た人たちは歓待しなければいけないと。
そういった心はみんな持っている。でもその自然なやさしい心情がある時、創唱宗教などによって「愛」としてイデオロギー化された途端、おかしいことになるんですね。
発症してしまうんですよね。
キリスト教などでは「愛」ということを最も大切なものとして説きますよ。一方、宣長のいう“産霊の御霊(むすびのみたま)”としての「愛(慈しみ)」というのは、これとは性格が根本的に異なります。それは共同体を維持し安穏に暮らすために必須になってくるもの。特に家族を養うためには。そもそもそれは、“産霊の御霊(むすびのみたま)”によって、誰でも生まれながらに授けられているもので、意識せずとも生活の中で自然に発動してくるものです。
日常生活を営む上において、このような生物そのものの本能として生まれてくる「愛(慈しみ)」なら何ら問題はありません。しかし「愛」が、何かのイデオロギーによって、ひとつの教条(実践命題)として祭り上げられ、最高の価値として観念化された途端、「愛」は逆に、「愛」というものの反対状態をはからずも引っ張ってくる。観念化したため、愛するものに理由が必要になってくるんですよ。「愛」に論理的な必然性が必要となるのですよ。愛するものとはこのような斯く斯くの理由を持っていなければならない。その理由が限定化されてくる。そうなると当然、自分たちの「神」を認める、あるいは自分たちと同じドグマや価値観を信奉しているものに対して、「愛」は第一に注がれることになる。反対にそれに従わずにいる相手に対しては、恨み・憎しみが同時に生まれるんです。
逆に、平等に愛するべきだと言っているのに実際には平等には愛さない(笑)平等に愛するべきと言っているのにも関わらず、平等に愛するのは自分たちの枠内においてのみ平等に愛するだけであって、それ以外のまたはその境界線上のあわいにいるような人たちは全面的に迫害してしまうんですよね彼らの場合(笑)その枠外になった瞬間に働くのが何かと言ったらルサンチマンそのものが働いてしまうんですよね。
「愛」、「隣人愛」を説くのだけれども、これはフォイエルバッハが言ったことですけれども、キリスト教の「愛」というのは基本的に自分たちの教えを信じる人か、それに反対をしない人にとってのものであって、自分たちの教えを信奉しない、あるいは攻撃する人には「滅びよ、呪われよ」と思っている。だからキリスト教の本質として、彼らの言う「隣人愛」というのはその教えに従順である者に対してだけであり、それに反対する者は彼らにとって全て悪魔なのだ、と。こういう趣旨のことを言っています。このようにドグマとしての「愛」というものは、愛すべき前提として、その理由が極度に限定化されてくるのですね。
キリスト教徒だけでなく、単一のイデオロギー体系(観念形態)を信奉している人たちの「愛」には、そのような限定的な視点がどうしても入ってくると言えるでしょうね。彼らに「無条件の愛」は存在しない。
では最後の部分に行きます。
「然るをこの聖人といふものは、神のごとよにすぐれて、」。それなのに聖人というものは神のように卓越して。宣長によれば、そもそも聖人というのは、必要に迫られて出てきたのだと。どうしても智恵を絞らざるを得ないような状況の中で苦心して様々な智恵を生み出してきた積み重ねの中から出現してきたものなのだ。けれども人々はそう思わない。
「おのづからに奇しき德あるものと思ふは、ひがことなり。」。自然に霊妙な徳を備えた人であると考えるのは間違いである。もともと自分の中に計り知れない神秘的なまでの徳を持っていた者とするのは間違いだということです。
人間が神のような徳を持って生まれて来るようなことは、そう簡単にはありませんよと。そもそも人々が「聖人の教え」を素晴らしいと思うのは、後世の人たちが読んでも道理に合っていて、荒唐無稽でないから。また、いまでも確かにこの通りにやれば絶対に良い世の中になるということが、理屈として直ぐにわかるからですよね。
「直ぐに」わかりますね(笑)
「敬天愛人(天を敬い人を愛す)」。「仁義礼智忠信孝悌」。これのどこが間違っているんですか。人間の道として当たり前ですよ。確かにこの通りにやれればという条件付きで、その通りですね。
ただ問題は実際にはどうか、言い換えれば「事」として見てみるとどうかということです。それをやった人というのが本当にいるのか。やろうとした人はどうなったのか。「理(り)」をそのまま実現することの難しさ。なぜ現実というものは「理(り)」の通りにいかないのか。
ここにおいてすべての聖人の道(聖人の教え)、そして創唱宗教の教義は大きな壁にぶつかってしまう。端的に言えば、自分たちが説いているものと現実との落差ですよ。この落差にどう対処し、信者たちに自分たちの教えを信奉させ続けるかが、各宗教の教導者の腕の見せ所ですね。(笑)
少なくともその腕の見せ所でそれだけの説得力のある宗教だけが残ってきた(笑)
そういうことです。だから世界宗教というのはある意味、民族や文化というものを超えてきた。
ところで改めて考えてみると、宣長というのは、“漢意(からごころ)”と、それを体現している教え(儒教・仏教・天主教など)に対し、ここまで根源的な批判をしてきている。それは教祖個人の智恵によって人為的に作られた宗教全てに対する、容赦のない否定ともいえます。こう言うと、彼はゴリゴリの無神論者のように思われるけれども(笑)彼はそのような世界宗教、すなわち“漢意(からごころ)”がこのように日本に広まって一斉を風靡しているのは、「事」として見ると、全く必然であり、これこそ「神の御所為(みしわざ)」であると認めているんです。
本居宣長研究ノート第十二回 「神の道」の巻
に書きましたけれども、否定しているどころか、これこそ「その時の神道」であるといっている。世の中にここまで流行って人々の支えになっている儒教、仏教の教えこそ、「今の神道」なんだということを言っているんですよ。それらを「事」として全て認めてくる。
「鈴屋答問録」に彼は以下のように書いています。分かりやすく、現代語訳で示します。
「そうして何事も皆、神のしわざであるのならば、儒教・仏教・老子の教えなどという道の出現したのも神のしわざ、天下の人心がそれに迷ってしまったのも神のしわざなのである。そうであれば、善悪邪正の異なりこそあれ、儒教も仏教も老子の教えも、皆広くいえば、その時々の神道なのである。神には善なるものもあり、悪なるものもある故に、その道も時々に善悪があって、それが世に行なわれるのである。
そうであれば、後世、国・天下を治めるにも、まずはその時の世に害なきことには、古(いにしえ)のやり方を用いて、出来るだけ善神の御心にかなうようにあるベきで、また儒教を用いて治めなければ治まりがたきことがあれば、儒教を用いて治めるのがよい。仏教でなければうまくいかない事があれば、仏教を用いて治めるのがよい。これらの教えも皆、その時の神道であるからだ。
そうであるのに、ただ上古のやり方でもって、後世までも治めるベきもののように思うのは、人の力を以って、神のカに勝とうとするものであって、不可能なだけでなく、却ってその時の神道にそむくものである。」(「鈴屋答問録」)
ここら辺はまた後の機会に考えていきたいということで、今回は以上で終わります。
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