Blog 本居宣長研究 「大和心とは」 : 『直毘霊』を読む・五(下)



異國は、天照大御神の御國にあらざるが故に、定まれる主なくして、狹蠅なす神ところを得て、あらぶるによりて、人心あしく、ならはしみだりがはしくして、國をし取つれば、賤しき奴も、たちまちに君ともなれば、上とある人は、下なる人に奪はれじとかまへ、下なるは、上のひまをうかゞひて、うばゝむとはかりて、かたみに仇みつゝ、古より國治まりがたくなも有ける。

其が中に、威力あり智り深くて、人をなつけ、人の國を奪ひ取て、又人にうばはるまじき事量をよくして、しばし國をよく治めて、後の法ともなしたる人を、もろこしには聖人とぞ云ある。

たとへば、亂れたる世には、戰にならふゆゑに、おのづから名將おほくいでくるが如く、國の風俗あしくして、治まりがたきを、あながちに治めむとするから、世々にそのすべをさまざま思ひめぐらし、爲ならひたるゆゑに、しかかしこき人どももいできつるなりけり。

然るをこの聖人といふものは、神のごとよにすぐれて、おのづからに奇しき德あるものと思ふは、ひがことなり。