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Blog 本居宣長研究 「大和心とは」 : 『直毘霊』を読む・弐
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それでは二回目ということではじめましょう。
前回の二行ということで、
この二行がまず終わりましたと。その後ということですね。
そうですね。次に入る前に、ちょっと前回のところでポイントになるところをちょっと振り返って見たいんですけど。
“こと”としての神、“こと”として存在するということを何回も説明の中で使っていたんですけれど、これがいまひとつちょっとわかりにくいというか、ここがわからないと宣長の言っているのがハッキリとわからない。ましてや宣長の言う「古学の眼」というのは“こと”という概念、概念というか実は概念ではないんですけどね。“こと”というのがわからないと見えてこないものなんですね。ちょっとそこを補足をしておきたいんですね。
これは「宣長研究ノート」の
第二回「事(こと)とは」の巻
のところでも書いたんですけれども。昔から色々なものの考え方がある中で唯心論と唯物論というのが結構メジャーなものの見方と言われてて、特に唯心論というのはキリスト教をはじめとして様々な一般に宗教と呼ばれているものがそれに属すると言われています。逆に唯物論というのが唯心論に対して出てきて、これは後に弁証法的唯物論や史的唯物論などに発展し、マルクス主義的なイデオロギーのひとつのバックボーンとして使われてきたものの見方ですよね。
唯心論というのは万物の本源を心(精神)に求める考え方。ある意味、「心の中でどのように思ったか」ということを中心として全ての物事とか世界観を作ってくる見方です。例えば心の中である事実が起こったとしても、それは実際には起こっていないと認めるならばそれは起こっていないんだと。だから心でどのように思うかによって全ては決まっていくんだという考え方。唯心論にも色々あって一概に言えないんですが、荒っぽく言えばそういうことですね。
それが顕著に表れているのが一神教ですね。特に教祖と呼ばれている人達、預言者と呼ばれている人達の心の中に起こったことと、その心によって決められたことは絶対的真実であって、事実の意味だけでなく、その事実が起こったか起こらなかったかということさえ変えることができるというね。そういうような傾向性を持っているものの見方です。
それに対して唯物論というのは万物の本源を物質に求める考え方。物質に表れた客観的事実や科学的事実・歴史的事実とか、整合性の取れた理論的な矛盾のない体系の中での概念的な存在の事実だとかね、そうしたものを絶対視する見方。唯物論にも色々あって一概には言えないですが、大雑把にいうとそういうことですね。
“こと”の見方というのは実はこのどちらにも属さないんです。さっき言ったように唯心論であれば事実が起こったとしても、これが起こっていないんだと思えば起こっていないんだという言い方を許してしまうんですけど、“こと”の世界においてはその“こと”が起こったというのはいかなるイデオロギー的な概念上の裏付けがあったとしても、あるいはどのように心が認めなかったとしてもそれは「事実」としてそのまま認めざるを得ない。事実は例外なく認めるんです。そういう世界。
で、逆に唯物論の場合は、それが外界に起こった物質的・客観的事実のみで心がどのように思おうと関係無いんだと。とにかく歴史的事実だとかね、あるいはちゃんとした理論的・論理的裏付けから帰納される結果に絶対性というのがあるんです。
“こと”というのはそれにちょっと似ているようなんですけれど、実はそこともちょっと違う。そこら辺がちょっと難しくて。確かに客観的事実を事実としてそのままとして取るのは同じなんですけど、例えば唯物論の中で心の中でどのように思ったかというね、その「思う」という“こと”が起こったという事実、思ったという心理的な事実は、外界に起こった客観的事実と比べると全く重要度が低くなるんです。でも“こと”の世界においてはそこは全くイコールなんです。だから、ある心理的な現実が起こったとします。心の中で考えが思い浮かんだとか、ある情景が思い浮かんだとかという事実は“こと”としては外界の客観的事実と同値ですね。ここのところが唯物論と違うんです。
唯心論では最終的に本人がどのように思ったかという、その心の心象を全ての世界に拡大して、事実の有無とかその事実の持つ最終的な意味合いとかすべてに心が主導権を持つ形。唯物論は逆に外界に物質的変化として表れた客観的事実が主導権を持つという形なんです。
“こと”はどちらにも属さない。
それで言うと心の中で思うこと。それが唯心論で言うと個人というものが絶対視されていて、その個人が思っているものというのが唯心論ですね。それに対して唯物論。“こと”の世界はその唯心論と唯物論との中間的な物の見方と言えるのかもしれないですけれども、個人の心象と唯物論的な事象。それとの間において発生している現象というものを中心に考えていっているのが“こと”の世界として理解していって大丈夫なのですかね?
大体はそういったことになると言えるのだろうと思います。けれども唯心論と唯物論を突き詰めてみると一体何なのかということを考えてみたいんですけどね。
結局唯心論というのはある意味でこれを突き詰めたときに、結論的に言ってしまうと唯一絶対の人格神が出てくるんですね。どういうことかと言うと、全ての世界で起こった事象というものを心によって規定し尽くすというか、逆に心にどのように思ったかということが基本であって、その最終的な主導権は心にあるんだと。だから心によってそれを ON/OFF もできるし置換も変換もできちゃうと。ということは、逆に唯一絶対・全知全能の究極的存在たる、意志を持った人格神というもの、そういったものがその延長線上に実在すると考えられているから、そのことが成り立っているんです。要するに「何事も神の御心のまま」という信仰がその根底にあるんですね。
逆に言うと二項対立、つまり「個人×個人以外」・「私×その他」という形での、「あなた」と「あなたたち」とは違いますよと「神」の視点から誰かが保証していることで、保証していない限り「個人」というのは発生しないわけですよね。成り立たない考え方なんですよね。
逆に言うと個人の意思というのが別れていない段階。それでいうと例えば、赤ちゃんとかですね。赤ちゃんに「個人」の意識が一体あるのか。赤ちゃんにはいわゆる「個人」の意識は無いですよね。その社会における「個人」の意識というのは段々と生活の中で、生まれて育っていく中で育っていくものですね。
それで言うと「個人」という意識ものは、後々概念によって人間社会によって作られてきた規定されてきたものである。しかし現代とは異なった社会、つまりガチガチに固まった「個人」の意識に捕われていないもっと柔軟な社会、または子供の心を持っている人たちになっていけばいくほど「個人」の意識は非常に曖昧ですよね。「個人」の意識がガチガチになっている、特に現代というのがそうだと思いますけど、それはある意味では人格神への信仰体系にズブズブになっているというのが言えるわけですね。それがもしかしたら宣長の言う“漢意(からごころ)”とかに関連してくるかもしれないということですね。
そうですね。俗に言うと唯心論、唯心論はいくつかあるのでひと括りには言えないんですけれど、基本的に大きな流れとしてはある人格・意志を持った唯一絶対の「神」がいて最終的に世界のものごとの価値だとか重みだとか、それが出現したか出現しないとか、それが正しいのか正しくないのかどうかといったことを「神」の人格的な思いによって規定してくるというところ。それに対して、それが本当に実在するのか実在しないのかといった判断の元に実は「神」のコピーみたいな形で「個人」が入れ替わってくる。特に近代ではそれが顕著なんです。「何事も神の御心のまま」が「何事も私(理性的自我・個我)の心のまま」に変わったんです。
だからこの場合は、どちらかと言うと合理と言うよりも感情的なものも含めて人間の思いだとか考えだとかが強烈に出てくるし、そこの思いによって全ての世界が意味付けられるという世界ですね。ある意味、基本的に最終的な元締めのところに人格的な思ったり、考えたり、審判したりする「唯一絶対神」というものが存在するという地平で出てくるし、それがあって始めて意味を持ってくるという見方なんですよ。
ここが無いと唯心的な見方というのは実は成り立たない。ほとんど地から足が離れた凧のような形でただ単に全ての事象が浮遊して、思いが浮遊していくというだけの世界。いまの世の中だったらいわゆるニューエイジなどの精神世界では、これは良い事のように言われているのかもしれないですけれど、そういった形になってしまうんですよね。これは 一種のデカダンですね。
まぁ、エクリチュールの戯れとか純粋持続とかお洒落な言い方が一時期はやったりしていたようですけど唯心論の世界から結局のところ離れ切れていないですね。いくら看板を目新しいものに変えたとしても所詮、中身は一緒。
そうですね。唯心論というのはわれわれは宗教に代表される広くメジャーな見方で、世の中のものの見方の中でも歴史的にも意味付けを持っていてね、主導的な見方と思っているけれども、実はひとつの特殊な前提を持って初めて成り立つ見方なんだということを理解しておく必要があるでしょうね。
その一方、唯物論というのは……。
その唯物論というのを考えてみると、この正体を見てみると、同じ文脈で見ると、唯物論というのは逆に唯一絶対の人格神ではなく唯一絶対の「理神」が出てくるんです。この「理神」は理神論でいうのとは少し異なって、「理論・理性の神」の略語です。だから物質に表れた客観的事実や抽象概念を用いた論理的認識こそが最も重要視されるべきものだと。実はこの客観的事実というのがこれが曲者で(笑) 唯物論的弁証法だとか科学的弁証法だとかによって意味付けられているから、単に事実が起こったことのみを言っているのではなくて、その事実そのものが唯物論的弁証法によって生まれ出てくる軌跡(運動)そのものが要するに非常に理性的であり、なおかつ合理的なものであるときに初めて「事実」とされるわけですよ。
つまりその自分の理論に当てはまらない不合理な事実は事実としてまったく認められることは無い。結局、科学的事実というのは自分達が見たいと思っていた先見が無い限り事実として発見されることも無い。率直に言うと合理的なものは全て正しいとする「理神」に対しての信仰告白が前提になっているわけですね。だけどそれは合理的か合理的ではないかという二項対立ですべてを説明し尽くそうとする危ない考え方のような気もしますね。かなり偏ったものの見方であるような気もします。
そうです。そこの合理的というところを重んじるということは、結局それを俯瞰する第三の視点というのが必ず想定されているんです。
つまり「理神」という理屈・合理性というのは絶対的真実・絶対的真理であるという視点ですね。
そうなんです。だから唯一絶対の人格的な「神」の意志が決めるというわけではなくて、理論的・論理的にハッキリとしていると。そういったときにそれを事実としての重みを持ったものとして初めて認めるという考え方なんで、そこには紛うことなく「理神」というものが前提として存在しているんですね。
それが真理を判定するんですよ。真理かどうかを。唯一絶対の人格神が自分自身の意思において判定するのではなくて、人間よって論理を用いて作られたひとつの観念の体系の中で、それがわれわれの頭の中で理性によって理解できる理論的・合理的な並び方をしているかどうかということですね。そこが最重要になるんです。
形としては「理神」の形と唯心論の人格神の形と全く変わっていないですよね(笑)ただ単に崇め奉っているものが違うだけ(笑)
そうですね (笑) だから結局フランス革命の原理となって、現代に至るまで「理神」というものがかなり強く出てきて啓蒙思想とかね。啓蒙思想にしても結局あれというのはカトリックという当時非常に強かったキリスト教の代表的な考え方に対して、それを一切否定すると。それに対して理性の「神」を立てる。「神」を否定しているんだけれども結局は、その座に座ったのは理性の「神」だったんです。
だから一言で言うと「理神」信仰。あれはね(笑)
客観的事実だとわれわれが言っている、当たり前に言っている言葉の裏には「理神」というのが既に出てきている。だから一切の人間の心象と関係ない厳然たる客観的・絶対的事実が存在するし、それは合理的な運動をもって展開している。その合理的と言われているものは、まさにひとつの観念体系であるにもかかわらず、近代に生まれた様々なイデオロギーの中に置かれて妥当と認められている。そこには進歩主義だとかね、ダーウィニズムの変形したようなものもちゃんと入ってきている。
まぁ、巧妙な問題のすり替え、騙しですよね(笑)
そうです。だから聖書を書き換えたのと全く同じで、「理神」を中心に聖書を書き換えたというのとあまり変わらないんですね。
ただ単にいままでキリストという名前を使っていたけれどもちょっとその看板じゃ一般の人を騙しきれなくなった。そこで看板を変えたけど結局は羊頭狗肉だったと(笑) キリストという名前を「科学的な」とか「理性」とか耳障りの良い「理神」に変えただけだと。
「神」の正義を「理性」の正義に変えたんです。
だけど形は全く一緒ですよね。
形は全く一緒なんです。だからここのところがわかると実は、“こと”というのが一見唯物論に似ているようでありながら根本的に違う。“こと”の世界というのは「理神」であろうが唯一絶対の「人格神」であろうがそれを認めない。より正確に言うと、そんなものはそもそも存在しないんです。
そのような「理神」とか唯心論の神様という考え方自体も、フランス革命でその部分が強調されて出てきたにしても、ルターまではまだまだストッパーが掛かっていたのでしょう。けれども、明らかにカルヴィンとかの思想から完全にその根っこが出てきているわけですね。まずはそれ以前のカトリックはそこら辺、最後のところでのストッパーは掛かっているわけじゃないですか。それで言うとカルヴィンとかあの辺からストッパーが外れて、それがもう……。
暴走しちゃったね。
暴走しているというのは事実ですよね。だけど逆に言うとそれ以外の世界観というか、「理神・唯心論」。それだけの世界。それ以外の世界観というか“ものの見方”、“視点の持ち方”というのは実際はかなり色々なパターンであるんですよね。
そうですね。
それを今の現代人というのが、様々なパターンのなかのひとつでしかない“ものの見方”を唯一絶対のものとして信じ込んでいる大きな間違いというのがありますね。
そうなんですね。だから今言われたそのような形で、いくつかのパターンがあるのにもかかわらず、「それ」がメジャーであって「それ」以外には実は無いんだと。そのところでわれわれは知らず知らずのうちに唯一絶対的な真理だと刷り込まれてしまっているんですね。
だからそういったことを中心に今の人たちというのは知らず知らずのうちにかなり影響を受けてしまっているんですね。
実際は井の中の蛙ですよね。
だから今回の話でとり上げている科学も、人文科学はもちろんのこと、自然科学でさえ所詮、その「理神」の延長線上から来ているんです。「理神」の延長線上で論理的な仮説を立てて、実験を何回か繰り返して、自然の事象の連なりの中から、ある特定の条件の中で再現する現象に法則性を認めて、その抽出した法則がいつどこで誰がやっても同じように起これば、“真理”としているわけなんですけれども、そこには絶対的観測者すなわち神というのが既に出てきているわけですよ。だから、絶対的観測者(=神)というものが、それを調べて法則性があると判断したと。その判断によってそれが「真理」として絶対的に成り立つとした構造。
それに対して、何もわれわれは疑問に思っていないし、当たり前のものだなぁと思っているのですけれども、実はそれはひとつの“ものごと”の見方なんですね。いくつかある“ものごと”の見方の中のひとつの見方。そもそも「絶対的観測者」などというものが存在し得ないことは、量子力学をはじめ、現代物理学の常識ですけどね。もっといえば「絶対的観測者」という存在自体が、一つの観念体系によって人工的に作り出された虚構の概念に過ぎないんですね。
またその“真理”といっても、自然など様々な現象の実物が連なって行く、その連なりということを見ていく中で、絶対時間と絶対空間という人工の虚構観念を作って、一つの現象に無理やり当てはめ、それを一定の手法で解釈したときに初めて出てくるひとつの法則性であってね。単にある観念体系を用いた現象の一解釈に過ぎないものなんですね。それなのに、その現象の再現性が一定の条件下で認められたなら、その法則性のみならず、それを真理として認める体系そのものまで“絶対的真理”だとわれわれは信じているんですね。それのみか、その “絶対的真理の体系”が現象に先立ってあらかじめ存在し、それがこの世のあらゆる現象を生み出してきているとさえ思っているんです。まさに、本末転倒とはこのことです。
いうまでもなく、この世で我々が五官を用いて感知している現象の、その元になる「物自体」は、そもそも時間と空間という人間の「認識作用固有の形式」を超えたところに存在しているのは明らかなのに、その程度の法則性をいくら「絶対的真理」だと言い張っても、酔っ払いの戯言に過ぎないでしょう。また、我々人間と五官の異なる生物から見たと仮定すれば、そのような真理は、まったく無意味になってしまうでしょう。もっと目を覚ます必要がありますね。
ちょっと例えとして良いのかわかりませんけど、カメラで写真を撮ろうとする時にファインダー越しに見ますよね。ある意味では遮眼帯ですよ。特に言語の論理構造が全ての源泉となっている科学。つまり「理神」信仰の中ではその遮眼帯の縛りは非常に強いものだということは指摘する必要があるでしょうね。それは非常に限られた信仰の中、一神教的なものの見方のひとつのバリエーションでしかないということは、踏まえておく必要はあるでしょうね。どうしてもわれわれは、現在のものの見方に固執してますからね。
だからこの宣長の言う“こと”の世界を見ていくときなかなか理解できないですね。
そうですね。
“こと”の世界ということで見ていくのが難しくなってきている現状で宣長を読む難しさというのはそこと無関係ではないんですね。
あまりにも話が脱線してしまいましたけど (笑) しかしこれは前提として言っておかなければならない話ですね。
それでは、これから本題に入るということで。次の文に行きましょう。
次に注釈として、
ここを次に説明していきましょう。
まず「大御神」というのは“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”ですね。「天つ璽」というのは「三種の神器」と言われているものですね。古事記での天孫降臨のところに見える「八尺瓊勾玉(ヤサカ ニノマガタマ)」、「八咫鏡(ヤタノカガミ)」、「草薙の剣(クサナギノツルギ)」の三種。これを三種の神器と言います。天孫、つまり“ニニギノミコト”のことですけど、“ニニギノミコト”が豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)に降臨するにあたって持たせた三つの神器のことです。それを「三種の神宝」と言うわけです。これを「御代御代に御しるしと伝はり来つる、三種の神宝」ということで「三種の神器」をニニギノミコトに“天照大御神”が渡したわけです。それが代々の皇室に伝わっている「三種の神器」と言われています。
だから皇位を継承するものはその「三種の神器」を受け継いでいくわけですね。これが代々の天皇(すめらぎ)に継承されてきたわけです。
次に、
この本文に行って、その注釈が、
とあります。さっき言った“三種の神宝”を授けながら“天壤無窮(てんじょうむきゅう)の神勅(しんちょく)というのをされるんですね。その“天壤無窮の神勅”というのがそこに書いてある「萬千秋の長秋に、吾御子のしろしめさむ国なり」、ここのところなんですね。
詳しく言うと“天壤無窮の神勅”というのは古事記の中で 、原文で言うと「この葦原(あしはら)の中国(なかつくに)は吾御子(あがみこ)の知らさん国と言依(ことよ)さし給える国なり」。これが原文です。
だからそこのところを簡単に「萬千秋の長秋に、吾御子のしろしめさむ国なり」と書いてきている。だから“天壤無窮の神勅”というのは、わかりやすく言うと、この“豊葦原之中津国(とよあしはらのなかつくに)”、つまり日本ですね。この国“皇大御国(スメラオオミクニ)”は「吾御子」、代々天孫ニニギノミコトから次々に皇位を継承していく御子の「しろしめさむ」。“しろしめす”というのは「治めたまう」という意味のことなんですけど、これについては詳しく後で説明します。治めたまう国であるということを言って、その継承の印として“三種の神宝”を授けたんです。その中でも“八咫鏡”というのを自分の魂だと思って祀るように言われているわけですね。それが伊勢神宮に祀られている鏡ですね。“天照大御神”の“御霊代(みたましろ)”としての“八咫鏡”ということです。ここら辺の“天壤無窮の神勅”については、また後に詳しく触れることはあると思います。
そのように“天壤無窮の神勅”のままに「ことよさし」というのは御委任されたということです。言葉を寄せた、御委任なさった通りに。だからそこで“天照大御神”が言った通りに“天津日継”は皇位のことですね。天の日継ぎということですね。“高御座”まで入れて皇位と理解して良いと思います。“高御座”というのは即位式のときに使われる天皇の玉座のことですけれども、ここでは皇位のことを示しています。
これが「天地の共動かぬことは、既にここに定まりつつ」。要するに天地がとこしなえに続くとともに、これが動くことがない。それは既にここに定まっているということを言っているわけです。だから皇位というものは、これからもずっととこしなえに動じない。厳然として存在し続けるということの最初の定まった起点というのがこの“天壤無窮の神勅”にあるのだとここで宣長は言っているのですね。 そしてそれは、外でもなく天照大神の発せられたこの神勅の言霊の力によってとこしえに保証されているのだと。
まず最初に言葉をね、少し細かく見ていきましょう。「しろしめさむ国」。この「しろしめす」という言い方を先程「治め給う」という言い方で言ったんですけれど、「しろしめす」というのは漢字で「知る+召す」と書くんですね。
で。これが何で「治め給う」になるかと。われわれが考える「治め給う」というのとちょっと感じが違うでしょ。「しろしめす」。あれっ?なんで「治め給う」ことを「しろしめす」と言うんだと。
この「しろしめす」というのは宣長が“古事記伝”で詳しく注釈を加えています。まずこの「しろしめす」というのは、「知り見る」と言うのと同じことだと書いています。「知って+見る」ということですね。これは「食す(おす)」と同じような意味で使われています。「食す(おす)」というのは食べるという意味です。後で「食国(おすくに)」というのが“直毘霊”では出てきます。この「食す(おす)」というのも「治め給う」という意味なんですけれど、ものを見るも聞くも知るも食べることも、みんな体の中に取り入れるのと同じ意味だから、「見す」とも「聞こす」とも「知らす」とも「食す(おす)」とも合い通わせて言うことが多いと宣長は注釈をつけています。だから“君”が“御国”を治めて保っているということを「知らす」とも「食す(おす)」とも「聞こしめす」とも使う、と。「“君”が国を治め保つというのはものを見るが如く、知るが如く、食べるが如く。自分の身に受け入れ保つ心あればなり。」(趣意)と注釈を入れています。
だから自分の身に入れる。「治め給う」というのは要するに、自分の体の中に全て受け入れるということなんですね。それを「吾御子のしろしめさむ国」。「わが御子が治める国」という文脈での中で「しろしめす」という言葉が使われている。ここをちょっとね、細かいことなんですけれども。
ここら辺で言葉の持っている元のね、言葉が生まれた、言葉が存在していた“こと”の世界というのが出てきているんです。われわれが感じる「治める」という言葉の“こと”の意味と「しろしめす」という“こと”の意味というのは実は微妙に違うんです。
普通「治める」というのは権力を持って、絶対的権力で反対するものを自分の言う通りにさせると。言う通りにさせる力としては武力があり、様々な政治があり、組織があり、政党があるというのが近代的なわれわれの国家での常識でしょう。だからわれわれがここを普通に読んでしまうと「あぁ、なるほど。天皇が統治する国だ。」というふうに“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”が言ったんだ、と。そういう形で言うから、要するに国の元首として、政治的にも権力的にも権威的にも「統治する」。つまり「統治」という言葉、「治める」という言葉の持っている“こと”の内実、言葉の内実と、「しろしめす」という言葉の内実との間に微妙なズレが出てきているんです。
で、「しろしめす」というのが「自分の身に受け入れる」ということ。逆に言うとその対象を完全に知ること。「知る」ということは要するに、いろいろな知り方がありますよね。見ることもあるし、聞くこともある。そして最終的には食べてしまう。食べるということは自分の体に取り込むから、一体になるということですね。それを「しろしめす」という言葉が立ち現われた元の“こと”の内実なんですね。
その「しろしめさん国なり」と言ったときにわれわれが、なるほど「統治する」だとかに簡単に置換できないものがある。宣長はそういった形での安易な、現在の言葉が持っている内実との違いを考えずにポーンと置き換えて翻訳してきて理解することに対して非常に慎重なんですね。
そういったところを元の古伝説の持っていた位相に戻して行くことによって、実は言葉の位相で戻ることによって“こと”の世界、その言葉が内実を持って生きていた“こと”の世界というのを立ち上がらせてくるんです。
だからここなんかも「しろしめす」という言葉をここまで細かに“古事記伝”で説いているというのも、従来からの様々な学者がやってきた無意識的なうちに、これはこういう意味だからと現代語に、いまの時代の言葉に置き換えてそれを理解して行くというやり方、いまでもこれは凄く多いですが、それに対するアンチテーゼなんですね。
そうした言葉を元の言葉を位相に戻していく。源流のところ、その言葉が生まれてちゃんとした内実を持って、それが周りの人々にそのままの形で伝わっていったところは何であったのか。だから言葉をひとつのきっかけにして、その古(いにしえ)の、その“こと”の世界というのをもう一度立ち上げてくるんですね。
こういった言葉のひとつの違いというのを見たときにその当時の古伝説が生きていた時代において国を治めるということの意味というか、内実というのがどのようなものであったのかということまで、遡っていっているわけですね。
言葉がこの「しろしめさむ」という言葉が生きていた空間。そしてその言葉が生き生きと生きていた空間。それというのが、逆に言葉をきっかけにすることによって、その言葉はどのような空間において最も生き生きとするのか。それをひとつのきっかけとしての言葉を使うことで照らし返していく。
そのことによってその元々の生き生きとした空間、つまり古伝説の空間がどのようなものであったのかを導きでしていく。そのひとつの鍵になっているということですね。
そういうことです。だから宣長の“古事記伝”の注釈では、あれほどまでにひとつひとつの言葉の用法を同時代の文献とされる数多の文例と正確に対照することで、一切の恣意的な解釈をせずにね、言葉そのものをそのまま語らせようとしている。そのために文例をたくさん挙げて、このような使われ方で云々と。宣長がよく言っているのは、言葉の元の意味というのはなかなかわからないんだと。でもわれわれは大元の原義を知ることは非常に大切だけれども、実はもっと大切なことがあると。それはその言葉がどのような文脈の中で生きて使われていたか。それを知ることなんだと。
だから言葉の原義。どっから生まれてどのような意味だったかというのはわからなかったとしても、その言葉が使われているその文脈、それがどのような使われ方をしているのかということを知ることによって、つまりその位相を知ることによって、実はわれわれは言葉が使われてきたその当時の“こと”の世界というのを、言葉の世界というのを通して知り、かつ体験することができるんだということを言っているんです。
例えると何もない空間の中にひとつの鍵を置いて、二つ目のの鍵、三つ目の鍵と置いていきますね。二つあるだけだと平面ですよね。それに三つ目の鍵を置くことによってこれは三次元の空間になるわけですよね。その三つ目の鍵、四つ目の鍵……と三つ以上になっていくとその空間というのがもの凄く奥行きを持ってどんどんダイナミック、かつわかりやすい形になっていきますね。
そのひとつひとつの鍵がどのように使われていたのか。つまりその言語空間の中にどのように配置されていたのかということを理解することによってその言語空間自体がそのまま“こと”として浮かび上がっていくと理解してよいのでしょうかね。
そういうこと。そういうことです。
だから、よく語源辞典とかいま流行っていますよね。でも結局はそのほとんどはわからないんですよ。その言葉がどのようなところで生まれたかということは。でも使われ方というのは残っているわけ。その言葉がこのように使われていたという。そこを現代のわれわれの目から見た意味付けをそのまま当てはめて読むのではなくて、その文脈が自然に成り立つようなものとして言葉がどのように使われてきたのか。それを逆に考えることによって元々の言語空間そのものを立ち上げてくる。再現してくるわけですね。
どのように使われてきたかというその関係性を見る。というか、文というのを生きている生き物として考えて、その生き物の中の部分としてその言葉がどのように生きているのか。それをきっかけにして、その当時の言語空間を再現する。こういうやり方を宣長は“古事記伝”でやっている。だから、客観的、いまの言い方だと科学的とでも言えるような、非常に緻密でね、厳密な考証、文献学的な考証と言っても良い手法を使ってきているんですね。
学問論として「こういうような読み方は文献学的な真理と言えないからこうだ。」とやっているわけではないんです。本当に古伝説というものが生きていた時代というものを本当に知るため。自分が古学の眼を開いた、つまり“見て”、“聞いて”、“知って”、“食べて”。それをやって初めて自分はそれを知ることができるというところから“古事記伝”でのあれほど厳密な客観的とも言える手法が出てきているんです。
ここを皆んな間違っていて、よく「宣長というのはあれほど科学的で文献学的な厳密な手法をやっている。これは評価できる。その宣長がなんであのような古伝説を、あの荒唐無稽の古伝説を信じるのか。」と。そのようなところで宣長という生きた一人の人間が、イデオロギーで既に分断され殺されちゃっているんです。ほとんどの学者はそれがわからない。何であそこまで疑り深くて慎重な宣長が、考証を大切にしている人が荒唐無稽な内容を信じてしまうのかといったことをかなりの学者さんがずっと書いているんですよ。(笑)
ひとつひとつの言葉が文献学的に、訓古学的に元々の言語空間の中でどのように配置されていたのかのか。どのように感じながら言語空間を作り上げていたのか。それを再現しよう体験しよう、と。
それで言うと現代の学者は、細部に耽溺しすぎて本来見るべきものというか、浮かび上がらせるべきものである言語空間がいつのまにかどこかに行ってしまっている側面がかなりあるのでしょうね。それだと私はこれだけの事を調べました、研究しましたというただ単なる研究発表ですよね。それだけで終わっていて、宣長的な言い方をすると古伝説の中に生きていた人たちがどのように生き生きと生きていたのか、その視点から作品を浮かび上がらせてこようとしていないのでしょうね。
そうですね。宣長が“古事記伝”を書くにあたって、古(いにしえ)の言葉の源流を知るのは非常に難しく、川の中流とか下流にいて上流がどのようであるのかを知るのが難しいのと同じぐらいそれは困難だということを書いているんですよ。
でも“古事記”の言葉というのはここに残っているし“万葉集”や“古語拾遺”をはじめ、その当時の昔語りというのは様々な形で残ってきている。しかもその言葉というのは、源流の意味がわからなくなってきてはいるけれども、その言葉の持っている“こと”の重みというのは完全には失われていない。なぜかと言うとその当時、“古事記”が書かれた時代に人々が言葉をいろんな形で使っている。そういった様々な言葉の用例が生きて残っているからです。
だから宣長はそこでどのような手法を取るのかというと、まずその言葉がどのような“こと”の重みをもって生きていたのかということを、客観的な考証を通して明らかにし、自分の見解ではなく、あくまでその言葉を“主(あるじ)”としてそのまま語らせていくという形を取るんです。
“万葉集”にはこのような形でこの言葉は生きて使われている。ここではこのように使われている。“古事記”の中ではこのようにと。そこにおける言葉からの声に素直に耳を傾けるんです。そこのところに今の自分の考えだとか、自分の信念だとか、当時の学問的常識といったものから生み出された正解を押し付けるのではなくて、その素材そのものを語らせる。存在そのものを語らせる。存在そのものが声を出すまで素直にずーっと自分を低くして、身を低くして耳を澄まして聞くわけです。そうすると言葉が語り始めるんです。
全然、いまの自分の時代には使われていない言葉なんだけれども、それがまるで生きていたときに戻ったように語り始める瞬間があるんです。そこまで読み込むんです。語り始めるまでただ静かに聞く。言葉の持っていた位相を聞く。まさに“言霊”がそこで立ち上がってくるぐらい、そこまで無垢な気持ちというか誠の位、純粋な穢れのない目でその存在が語り始めるのを見る。
そういったところから彼の“古事記伝”というのは作られているし、彼の“古事記”理解、古伝説の理解というのは実は作られている。だから何度も言うように宣長個人の形而上学とか信念だとか、そういったものに則って解釈し直したものではないんだということですね。
それで言うと、いまの上流の話。私たちがいるのは川の流れの下流ですよね。その言葉の一番の大元が上流だとすると、上流での意味はわからないにしても、中流の流域でどのような風景が広がっているのか。それは個人が無垢な状態で頭を低く低くすることによって、その中流域の空間を追体験できるわけじゃないですか。その追体験することによって何がその中流域で起こっているのかということがわかってくるというのがありますよね。
そうなんですね。宣長が言っているのは、いまの言葉としてはかなり違ってきているけれども完全にその流れが途絶えたわけではないんだと。だからわれわれはそれをある程度知ることができるし、しかもその知るというのは恣意的に知るのではなくて言葉が語るままに、当時の位相の中で語るままに語らせることによって、かろうじてわれわれはそこの時点に遡ることができる。とすると“古事記”というのは宝の山なのだと。
古伝説が生きていた時空そのものを再現する。そのきっかけに言葉はあるのだと。だから言葉というのは非常に大切だし、ひとつひとつの意味を安易に決め付けたり、後代の解釈に当てはめて変えたりすることを厳に謹んで、言葉そのものの“音”。もっと言ってしまうと“音”ですよ。その“音の連なり”が生み出す音色やリズムによって喚起される原初的な感覚。古伝説で言うと言霊的なね。そういった位相のところまで遡って追体験して行くんですね。
そこに行って初めて、最初の第一行目に出てきた“皇大御国(スメラオオミクニ)”というものが宣長の目の前に生きたものとして立ち上がってきたんです。そこで初めて彼は確信を得ることができた。
心の中、目に浮かんだその空間というのが一回完全に感得されたとしたならば“古事記”や“万葉集”といったもので描かれているひとつひとつの言葉の配置というのは、全て合点が行く形になるのでしょうね。
そうなんです。ただ、論理を超えた形でそのままスッと入ってくる。現代を過去に戻すんじゃなく、新たに現代に古代を立ち上げるんです。これが、今即神代ということなんですね。中今(なかいま)と神道では言いますけどね。これを。だからそこに彼は生きていたんですよね。そういうことを自然にできるような位相に彼はいたわけです。
そういった彼の書いたものを様々につかまえて、それを全然宣長の生きていた時代と無関係の近代的な概念を当てはめたり、やれ封建制だ、近代制だとかね、人権だとか平等だとか自由だとか。そんなような概念で彼を批評したり断罪したりすることは、ある意味で本当に愚かなことだなぁ、と。それがわかってくると思いますね。
もっとわかりやすく言うとあれなんでしょうかね。言葉というものを使って、それを鍵にしてどんどん分け入って行っていく。その行為を繰り返していくことで、その中流域の河岸の風景をより鮮明なものとして見ていく。つまりひとつひとつの言葉を集めていくことで、その中流域のバーチャルリアリティーの中に入っていけたということなんでしょうね。
そうですね(笑)
これはちょっと脱線してしまうけど、いまのオタクというのもねそれに通じるところもあるのかもしれないですね(笑)
いろいろな具体的なものを集めたり執着することによって、その世界をそのまま現出させる、リアリティを持ったものとして、まさにバーチャルリアリティーとして作り上げていくといったところにはちょっと似ているところもあるかもしれないですね(笑)そこまでこだわってというね。
そういったところはいまの日本人にも、細部を大切にしていくことによって、ただ単にそれを考証していくというのではなくて、その中に生きて楽しんでしまうというのは、実はいまも生きているんじゃないかなぁ、と思うことはありますね。
フィギュアを……(爆)。フィギュアを持つことでそのアニメの世界に自分自身を自己投影化して一体化する。そしてそのアニメの中の主人公と語り合える世界という。
でもこれって子供は結構やっているんですよ。自然に。無垢な子供というのは凄い同化作用というか、非常に具体的なものを通じてひとつの世界を立ち上げるというのがもの凄く上手い。逆に言うと“産霊(むすび)の御霊”としてそのように生まれつき与えられているひとつの大切な能力なんじゃないかなぁと思いますよ。
特に子供なんかというのは、ある恐い存在が来るとするじゃないですか。例えばお化けとか。そうするとどうするかというと、本当に恐いときどうするかというと、自分がお化けの振りをして他人を驚かせるということをやることによって、自分は恐くなくなる。これって、自分が理解できない恐い存在じゃないですか、お化けって。得体が知れないから恐いんであって。その得体の知れない恐い存在でさえ、自分がそれに成り切ることによって恐くなくなって、逆に他人を驚かせて恐さから逃げるという。
これって実は人間は、この奇異(くすしあやし)き中において得体の知れないものを得体の知れないままに受け入れることによって、その恐怖心を乗り越えるというね。生まれつき持っている、宣長の言うひとつの……。
「しろしめす」ですね。
そういうことなんですよ!だからこういうところにも繋がっているんじゃないかと思えるぐらい人間の持っている本性にそういったものがあるのではないか、と。
「学ぶ」というのが何事も「真似る」ということから始まるとすると、結局真似というのは同化作業じゃないですか。
そうなんですよ。
人間に限らず全ての生物において親がやっている獲物の捕らえ方、どのような植物を食べれば良いのか。それをどんどん真似することによって、段々とオリジナリティーというか“個”として育っていく。もともとは同化することが最初なんですよね。
そうなんですね。すべての“こと”はそうなんです。だから宣長も古伝説に対してどのようにやっていくかというと、まさに情(なさけ)の位において同化していく。そこから入る。ただそこに同化するには必ずきっかけが要るし、生きた“こと”のしるしがいるわけです。それが実は言葉だったんです。
それで言うとあれでしょうね。やはり、オタク道とは何から始まるのかというと「“コスプレ”からだ !! 」ということと一緒でしょうね(笑)
だからこれっていうのも何も特殊な手法でもなくてね、人間として生まれながらに持っている特質だと思うし、これがあるから人間は様々な理解不能な現実、理屈では割り切れない中でも生命力を失わずに生きていける、“産霊(むすび)の御霊”から与えられた非常に大切な能力なんじゃないかと思いますね。
さっき言った「しろしめす」ということは「知り+見る」ということで自分の身体の中に受け入れ保つ意味なんだと。ということは同化する。自分の治める国と自分を一体とする。ある意味では“無我”ですね。言葉を変えると“無私”ですね。
これある意味では同じ生命体なんだという認識。自分の命とそこの国土に住む人たち、全てのもの。それを全て体に受け入れる。逆に言うと一体となるというように考えてよいと思いますね。その文脈から“治める”とか“統治する”という意味で「しろしめす」と使われているんですね。いまのわれわれが持っている言葉の位相とは全然違うということですね。
おそらくこの後どこかで例としてあげることになるのでしょうけど、
芥川龍之介の「神神の微笑」
というのがありましたよね。あれこそ日本の神様の特徴をしめしていると思うんですね。世界中の神様が日本に入ってきていつのまにか同化してしまう。それこそ日本の神様がやっていることですね。
「あなたと私たちは違います」という立場から出発するのではなくて同化する。将に一回相手を食べちゃって体の中に取り入れてしまう。「しろしめす」というそのままのやり方ですよね。
そうです。それというのはずっと生きているね。日本の全てのものをどんどんそのままの形で受け入れながらも同化していくというところは、まさに“国を治める”ということとそのままイコールになっているということですね。
だから上からいきなり“治める”という形ではなくて「しろしめす」(笑)
「しろしめす」んですよ。そのことを知った上で食べてしまう。食べて消化してしまう。とりあえずは。邪まなものであろうが悪であろうが。
そこら辺から“皇大御国(スメラオオミクニ)”とは何だったのかということを、少しずつわれわれも知ることができると思います。
次にもうひとつ言葉の意味ね。これも「しろしめす」と繋がるんですけれど「天津日嗣高御座(アマツヒツギタカミクラ)」というやつね。これをちょっとやってみます。
「天津日嗣(アマツヒツギ)」というのは二つの意味があると宣長は指摘しているんですね。
まず「直毘霊」の後で出てくるんですけれど、「天津日嗣高御座(アマツヒツギタカミクラ)は……」の本文に対する注釈で「天皇(スメラギ)の御統(ミツイデ)を日嗣と申すは日の神の御心を御心として、その御仕業(ミシワザ)を嗣坐(つぎます)故(ゆえ)なり。またその御座を高御座と申すは唯(ただ)に高き由のみにあらず日神(ヒノカミ)の御座なるが故(ゆえ)なり」と言っています。
これはどういうことかというと、天皇(スメラギ)の御系統を“日嗣”というのは“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”の心。要するに太陽の心ですね。宣長の文脈で言うとね。太陽の心をそのまま御仕業(みしわざ)として継いで行く。だから“天津”。“天津”というのは「天の」ということなんです。「天の日を継ぐ」ということなんですね。だから心と御仕業は別ではないですよね。言葉も別ではないです。この三つというのは宣長の言っているとおり溶け合っていますから、これを継承していくことを“天津日嗣”と言うんです。
だからこれは後でも出てくるんですけれど“天皇(スメラミコト)というのは全て天津神の御心を御心として、自分の気持ちや賢しらとか、自分の知恵でもって考えてやったり決めたりせずに、ただ神代のままに。まさに天津神の御心を“大御心(おおみごころ)”としてやっていくということで、全く私心が無い。そのような形として“皇(スメラギ)”が存在することが実は“天津日嗣”なんです。これがまず大事なことです。まずこっちが主になります。
もうひとつ。“天津日嗣”というのは単なる皇位を継承していく形式のことではなくて、代々の天皇の御心も御仕業も全てイコール“天照大御神”の御心、御仕業であるということなんです。それは太陽の心、太陽の御仕業と同じ。だから基本的に“無私”。私(わたくし)が無い。
太陽がおまえには光を当ててやんないよ~、と。そのような分け隔ては何も無い、と。
そういうことです。悪いものであろうが、どんな大悪人であろうが等しく光を与える。全ての生き物、全てに対して。
そこにおいて優劣の価値観という概念自体が無い。
無いんです。だから“天皇(スメラミコト)”とは何かと言ったときに、まずはここが原点になりますね。“天皇(スメラミコト)”たらしめているところ。天皇が天皇たる所以というのは、まさに太陽の心をそのまま継いでいるというところの一点なんです。宣長においては。
だけれど太陽の心を継いでいる形で言うと非常に誤解を受けると思うんですけれど(笑)太陽の恵みをそのまま皆に与えている部分もあるんでしょうけれど、その心というのは人間が考えたり感じている心ではないですよね。
そういうことなんです。だからそこが実は大切で、次に出てくるんです。宣長は古事記伝でさらにもうひとつの例として、「天津日嗣」は「天津日継」とも書いて、この「継」というのは、「給」の借字で、物事を供給する意味。この「給」を「つぐ」とも読むんですが、「天照大御神の給(つ)ぎ寄(よ)さし賜ふ物を受納(うけいれ)知看(しろしめ)すを天津日継所知(しろしめす)とは申すか」と言っています。これはどういうことかというと、“天照大御神”が与えてくれる御恵み。それを受け入れるから「天津日継(あまつひつぎ)所知(しろしめす)」と言っているのではないかと言っているんです。
つまり「給(つ)ぎ寄(よ)さし賜ふ」というのは供給されるということです。与えられるということですね。与えられるものというのは何かというと、天(あめ)の下の百姓、これを“大御宝(おおみたから)”と言いますけど、“大御宝”が奉る諸々の貢物(みつぎもの)です。これを天(あめ)の下の百姓である“大御宝(おおみたから)”が天皇(スメラギ)に貢ぐわけです。そしてこの貢物というのは元は“天照大御神”が“大御宝”へ御恵みとして与えたものですから、結果として“天照大御神”が天皇(スメラギ)にお与えになった形になります。そして天皇(スメラギ)はそれを受け入れる。これをまさに「天津日継(あまつひつぎ)所知(しろしめす)」というのだと。
だから百姓が奉る太陽の恵みを頂く。受け入れる。これが「天津日嗣」なんだと。その百姓が奉る諸々の貢物の中で何が一番主になるかというと、宣長はそれは“稲”だと。“稲”を貢ぐ。それを受け入れる存在が「天津日嗣」だということなんですね。
これがもともと「天津日嗣」という言葉が生まれた位相における本来の意味ではないかと言うんですけど、これは深いですね。これはどういうことかというとですね、“天照大御神”の御恵みというのはすべてに与えられますね。その御恵みというのは“稲”という形で与えられてくるわけですよ。その“稲”は天(あめ)の下に住まうすべての人を生かし養っていくわけです。その生育した実りを今度は“天皇(スメラミコト)”に奉るんですよ。“大御宝(おおみたから)”はね。貢物として。“天皇(スメラミコト)”はまさにそれを受け入れるわけです。さっき言った「しろしめす」。一体化する。つまり“食べる”ということですよ。
これはなんと今でも毎年、宮中の新嘗祭でやっていることですよ。大嘗祭とかもそうですね。
新嘗祭において今でも天皇はその年に収穫された初物の“稲”を食べることによって五穀豊穣を祈り、その国のすべての人々の平安と国の安泰を願うんです。簡単に言うとね。新嘗祭というのはそのような儀式だと言われていますけどね。
まさにここですね。ここが実は国の最も大切な……、
日本が日本たる所以。
日本が日本たる所以の儀式なんですよ。これは。
「しろしめす」という。
そう「しろしめす」。じゃあ、「しろしめす」というのは何か。“太陽”の御恵みでできた“稲”を“天皇(スメラミコト)”が“食べる”ことなんです。だから新嘗祭なんです。“食べて”同化する。ここで「しろしめす」が出てくるんです。毎年いまだに神代の「しろしめす」が行われているんです。この国は。
これは凄いと思いますね。何のためにあれをやっているのだろうと。全然外部から見ると、民俗学などやっている人は別にしてね。例え民俗学をやっている人であっても、この「しろしめす」の意味をわかってないですよ。
だからいまだに天皇が「しろしめす」を行っているのだと。“天皇(スメラギ)”はいまもこの“皇大御国(スメラオオミクニ)”を「しろしめて」いるのだということは、現にいま行われているのですね。
“稲”を食べることによって“太陽”の御恵みと一体化することによって感謝しているわけでしょ。ということはまさに百姓である“大御宝(おおみたから)”が天皇に対して感謝しているのは、最終的に“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”に対しての感謝なんですね。
どういうことかというと、天皇は“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”の「みこともち(御言持ち)」として、「みこともち(御言持ち)」というのは簡単に言うと代理のことです。“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”の代理として、“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”の「寄りまし」として天皇は、百姓の奉る“御宝(みたから)”としての“稲”を食べることによって“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”への感謝を受け継いでいるんです。
もともとの貢物である“稲”というのは何の恵みでできたのかというと“太陽”からの恵みですよ。そうすると“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”がまさに“大御宝(おおみたから)”に与えた恵み。それに対する感謝というのは、できた“初穂(はつほ)”を天皇に奉る。そして天皇は新嘗祭において神に対して実りを報告して、神と一緒に初穂を食べ、感謝して、五穀豊穣と“大御宝(おおみたから)”の繁栄を願うわけでしょ。ここに大きなサイクルができているじゃないですか。
循環ですね。
循環です。ひとつの生命体なんです。これは。“皇大御国(スメラオオミクニ)”というひとつの生き物。
だから天皇というのは基本的に言うと天津神の「みこともち(御言持ち)」だということですね。
「寄りまし」ということですね。
「寄りまし」です。そして天照大神の御子(ミコ)。
逆に言うと「寄りまし」であるということだと、精神的な深みを持っているとか、理知的にものを考えて知恵があるとか、徳があるとかあまり関係が無い。
あまり関係が無いんです。
天皇(スメラミコト)というのは何かというとそれだけで長大なものになってしまうんですけれど。いまの時点で -これから宣長は色々と書いて来るんでその都度説明していきますけれど- 言えるのはどういうことかというと、“天皇(テンノウ)”というのは後代中国の読みが入ってきてからの言い方なので敢えて“天皇(スメラギ)”と言いますけれど、“天皇(スメラギ)”というのは高天原(タカマノハラ)の御心、つまり天津神(アマツカミ)の御心を「みこともち(御言持ち)」としてそれを現世(うつしよ)に映し伝えて、現実に執り行うための存在なんだと。
“天皇(スメラギ)”を「寄りまし」として“天津神(アマツカミ)”が顕現してくるんです。“天津神(アマツカミ)”というのは“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”を中心とした“高天原(タカマノハラ)”の神々ですね。“天皇(スメラギ)”というのは“天津神(アマツカミ)”の御心のままに現世を治める存在なんだと。“おさめる”というのは“しろしめす”という意味ですね。だから顕世(うつしよ)の神で、幽世(かくりよ)における神ではないんだと。補足すると、顕世(うつしよ)とは、全てが顕(あらわ)になる、今私たちが生きている現実世界のことです。幽世(かくりよ)とは、目には見えぬ異界であり、人が死後、行くとされる黄泉の国などがそれに当たります。だから幽世(かくりよ)の神というのは、後で出てきますけれど、“大国主命(オオクニヌシノミコト)”とかの黄泉の国の神とかかがそのように呼ばれています。その逆に天皇(スメラギ)というのは顕世(うつしよ)の神なんだと。天皇(スメラギ)が「現(あき)つ神」「明津神(あきつかみ)」といわれるのは、その意味です。
これというのはなぜこのような形を取るのか。顕世(うつしよ)の神というのは目に見える神、いまの現世に生きている神でしょ。だから「天皇は神である」ということを宣長が言ったとき、“神”というのは一神教的な“God”とかでは全然ないんです。本編の
第十回「神」の巻
で書きましたけどね。国語において言うところの“カミ”なんで。そして天皇はそういった顕世(うつしよ)の神で、“天津神(アマツカミ)”の「みこともち(御言持ち)」としてあるんだと。
それだけに無私であることが大切なんだということですね。
そうですね。これは私の想像なんですけれど、なぜこのような形を取ったのだと考えるとね、もし“天皇(スメラギ)”という顕世(うつしよ)における、いまも生きたものとしての「みこともち(御言持ち)」の存在がいなければ、多分“神代の古事”というのが“理”に堕してしまうからではないかと思うんです。
要するに仰ぎ見る古代に理想の世界があったと。その国の体系として云々ということになると、そこで完全に観念化と理念化が起こってしまうんです。だからそういったことを防いで、まさに“事理”。“事”に即した理(ことわり)として、神代を今に、「神代即今」ということを現出するために、“天皇(スメラギ)”というのを顕世(うつしよ)に置いて、それを通して神代を生きるという形で、「神代即今」というを実現しているのかなと思っていますけれどね。
“天皇(スメラギ)”というのが、生きて死んでという形で生命としてのサイクルを終えて、また次の生命へと受け継がれていくじゃないですか。つまり、「寄りまし」を常に新しく新しくしていくという形をそのまま取っているのが伊勢神宮の「式年遷宮」ということですね。
そうです。そうです。私もちょうどそのことを言おうとしていたところだったんですけれど、まさに伊勢神宮の「式年遷宮」というのは20年ごとにすべてを作り変えるわけでしょ。でも、作り変えるのはまったく新しいものなんだけれども、古代をそのまま顕世(うつしよ)に再現するというこで、過去である神代に戻るのではなく、“いま”に“神代(カミヨ)”を生み出す。そのとき時間や空間というのは新たに“こと”の世界でリセットされ、万物が生まれたままの状態に立ち帰って、すべてが祓われる。これを“人間”においてやっているのが実は“天皇(スメラギ)”の行う大嘗祭であり、新嘗祭であり、そして皇位継承が行われて常に「みこともち(御言持ち)」としての存在が存在しつづけていくことの本義なんですね。
だから人格はまったく違うし生命体としても異なる存在なんだけれど、実はすべて同じであるという。すべての“天皇(スメラギ)”は“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”の「みこともち(御言持ち)」として1人なんですね。
逆に言うと個性があったら困る。
逆に言うとね。徳があるとかどうのこうの、本人の能力がどうのこうの、人格的に優れているといったことは第一ではない。それも後の著作「くずばな」なんかにも出てきます。
本当のことで言うと多分、どれだけ“無私”であるかどうかということなんでしょうね。
要するに“太陽”の御心と御仕業(みしわざ)をそのまま受け継ぐ、と。“太陽”の御心・御仕業というのは逆に言うと“神代の古事(ふること)”なんです。“神代の古事(ふること)”そのまま受け継ぐというのはどういうことかというと、人間の作った特定のイデオロギーや世界観の中で価値付けられた観念体系の中での正しいこととか、言われたことを受け継いでいくということではなくて、神代の昔から自然に人々が生きていく間に様々なことが起こってきたと。その起こってきた中で様々なことが変化していった、と。その中から自然に浮かび上がってきた“形”。その“形”をそのまま受け継いでいくということなんです。これが神の御仕業をそのまま受け継ぐということなんですね。だからそこに何らかの概念的な理論的な正当性だとか、理念的な善悪の観念だとかを持ち込まないんですね。そのように人間が太古から積み重ねて、理論はわからないんだけれど、理屈はわからないんだけれど、このようにやったら上手くいったという経験の積み重ね、慣習法というか自然法、コモンローを大切にする。そのまま受け継ぐ。それでも疑問が出たり、新たなことをやるときには占い事で御神意を聞いて、自らの私意を決して差し挟まないのだと、宣長はこの後に書いているんです。
まるで自我というか己(おのれ)の賢(さか)しら心を持っていないんです。“天皇(スメラミコト)”というのは。そのような存在であるから尊く「公(おおやけ)のもの」なんだという文脈なんですね。これは。
もっと突っ込んだ話で言うと、神様がなんで偉いのかというと人格を持っていないからだということですよね。日本においては(笑)
一神教での人格神ではなく、日本において神様の一番の偉大さ、日本の一番の特徴というのは「人格を持っていないから素晴らしい」のだというところですね(笑)
そうですね(笑)人格というよりかは、自分の賢ぶった考えとか頭の中で私的な理念に基づいて考えた理性的判断とかね。 現代に引きつけて言うと「近代的自我」を持っていないということですね。
逆に言うとそのような理性で判断できるものというのは善か悪かという二項対立の判断しかしていないからもの凄く単純化したものの見方、概念でしかないわけですね。それでいうと人知を超えたものを“神”というのであれば、“神”が人格神であるはずがないんですよね。本当のことを言うと。
だから何でこのような事が起こったのだろうと究極のところを極限まで追求しても、結局は「皆あやしきにおつる也」と宣長が喝破したように、“こと”が起こった根拠は何なのかというのを追い求めていっても、人間の理解できる因果律・概念の次元では決して埒があかないわけですよ。そうなったら結果として「こうやったらこうなった。こうやったら上手くいった。」、と。その経験則のほうが遥かに大事になってくるんです。これは何も古い事をそのまま墨守していくというのではないんです。経験則で悪かったものはどんどん捨てられていくんですよ。人間てそんなにバカじゃないですよ。特に神代を生きた人達は余計な賢しら心を持つことなく素直な心の人達ですから、悪くなったことを忌むから二度とそのようなことが起こらないようにします。悪くなったやり方をやらなくなるんです。だからそれが拙かったということをちゃんと覚えています。古事記の中にもまずかったことが山ほどあるんですよ。
“大国主命(オオクニヌシノミコト)”ですね(笑)何回も何回も兄弟に貶められて殺されてしまう(笑)
(笑)何回も何回もやって失敗して、それで反省してやり直してきて最終的に上手くできたやり方が「形」になって残ってきているわけだから。そこまでにもの凄く実験を繰り返してきているわけですよ。
そこには、理屈で「なんでそうなるのか?」ということはわからないんだけれど、経験上「こうやったらこうなった。こうやったら上手くいった。」という厳然とした実験データの蓄積が確実にあるんです。“神代(カミヨ)の古事(フルコト)”の中には。それを大切にしていく。しかも「神代即今」だから“神代(カミヨ)の古事(フルコト)”の中の実験データというのは、いまも更新され続けているから(笑) Windows の自動アップデートみたいなものでね(笑)
“天皇(スメラミコト)”が“神代(カミヨ)の古事(フルコト)”のままに「しろしめす」というのは、“神代(カミヨ)の古事(フルコト)”をそのまま墨守して行くのではなくて、徐々にその時代ごとの実験の結果を反映しながら、少しずつ微調整されながらもいまだに生き続けている“神代(カミヨ)の古事(フルコト)”なんですよ。“神代(カミヨ)の古事(フルコト)”というのは過去の古事記に書かれているものだけではなく、いまも実は生きているんです。
七回殺されても(笑)同じことはやっているんだけれども、少しずつやり方を変えていっている。
変えていっている(笑)
「こうやったら上手くいくんじゃないか、ああやったら上手くいくんじゃないか」。少しずつ変えながらいい結果を少しずつ出していく。
だから成長していく“神様”なんですね。
変化しつつ“ある”真実なんですよ。これっていうのも、ちょっと近代的な一神教的な“真理”という地平で生きている人たちから見るとなかなか理解しにくい地平でしょうね。
そういったところで宣長の「直毘霊(なおびのみたま)」は語られているのだというのがわからなければ……。これを理解するのは難しいのかなぁ、と。自分も含めて、今までわからなかったなぁ、見えてなかったなぁと思いますね。
それでいうと“須佐之男(スサノオ)”なんかホント失敗に失敗を重ねて少しずつ覚えていった……(笑)とんでもない奴ですからね(笑)
(笑)心の思うままに好き放題やって、悪は悪なりに“誠(まこと)”があるんですね。あれも。その“誠(まこと)”のままにやったことがこのようになったと。
追放されて(笑)
そういった存在も失敗したまま終わるかというと、その後にヤマタノオロチを退治して人々に幸せを与えていく存在になっていくんですね。そういったところは、本当に生き物だなぁと。学んでいく存在で、変化し続けていく存在なんですね。“神々”がね。
でも、そこの生き方に迸るような“生き”の命があって、善は善として悪は悪として“生き”の命が輝いていてね。そこに“誠(まこと)”を感じるんですね。古事記の“神”というのはね。
悪は悪として率直ですよね。
率直です。悪に徹している(笑)
それが“神”と呼ばれるんですね。
“神”なんです。
それでいうとスケベ心をそのまんまストレートに出す「田代神」とかですね(笑)なんであれが“神”と日本では言われるのかというと……(笑)
2chという狭い言語空間の中においてですけれどね(笑)確かに(笑)
それだけ逆に人間としての本性をそのまま露骨な形で、そのままダイレクトに出した瞬間に、人知を超えたということでそれを“神”と言っている。
そうなんです。“驚き”なんです。理解しがたい、常人では絶対にあり得ない一線を超えたというところでね。それでも率直であるところにおいて心の中には“畏しこき”ものがある(笑)
なんか凄いなぁー、あり得ネェー、俺にはできネェーとか(笑)
それがマイナス方向でもね、とことん突き抜ければ“神”ですよ(笑)
まぁ、そういうことで本題に戻りますとね、「天津日嗣(アマツヒツギ)」というのはそのような意味があるんだと。
“稲”を食べて同化する。その同化することによって自分が“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”の「みこともち(御言持ち)」として“大御宝(おおみたから)”の感謝を受け取って“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”に報告する。そして五穀豊穣と人々の安寧、国の安寧ということを祈っていくこのひとつのサイクル。これを繰り返していく。
というのは“天津神(アマツカミ)”の御心をないがしろにしないことによって“天津神(アマツカミ)”のみならず八百万の神の御恵みをそこに住まう人々がこれからも受け続けていくことができる循環のサイクル。これを続けているわけです。日本という国はね。
それが“皇大御国(スメラオオミクニ)”という名前をもって言われている国の中で確かに起こっている「こと」なんですね。
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