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Blog 本居宣長研究 「大和心とは」 : 『直毘霊』を読む・壱
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それでは『直毘霊』研究ということではじめましょう。
まぁ、ゼミみたいな感じでね。
ボチボチやっていきましょう。
いままで12回に渡って基礎的な宣長を読む上でキーになるタームとか基礎的な意味的な言葉の色々と説明しながらやってきたんですけど……。
ちょっとアレは分かりづらいですからね(笑)
ノートみたいなものでエッセンスを抽出したもので、ま、逆に言うとあそこが分かってしまえば、すっすっと後は行くはずなんですけどね。
とは言っても。そうは簡単に分からんですわなぁ。
普通はなかなかそうはいかないでしょうね。それを知りつつ、当初の予定通りの進め方をやっていこうということで。益々敷居が高くなっていってしまいますが(笑)。それはそれとして、何かには繋がって行くでしょう。
じゃ、まず最初に直毘(なおびの)霊(みたま)というこの題、これはもともと宣長が古学の研究ということで古事記伝を35歳から書き始めて、その最初のところの“一之巻”として持ってきて、古学の眼を開くために「これは気をつけなくてはいけない」ということをエッセンスとして凝縮したものですね。それを古事記伝の頭に持ってきた。それが直毘(なおびの)霊(みたま)で、稿がいくつかあるんですけど最終的な稿がいま配ったコピーです。直毘というのは古事記に出てくる神々の中のひとつの神の名前です。“直”というのは直すということですね。イザナギノミコトとイザナミノミコトというのが先ずいて国産みをするんですけど、そのイザナミノミコトが死ぬことで黄泉の国に行ってしまう。イザナミノミコトを慕ってイザナギノミコトも黄泉の国に行くんだけれども、そこで穢れに触れて黄泉の国から逃げて帰ってくる。逃げて帰ってきたところで、有名な話ですけれど阿波岐原(あはぎはら)。祝詞にも出てきますよね。
「掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等 諸諸の禍事 罪 穢有らむをば祓へ給ひ清め給へと白す事を 聞こし食せと恐み恐みも白す」
その禊の中から、先ず最初に禍津日神(まがつびのかみ)や八十禍津日神(やそまがつびのかみ)という黄泉の国の穢れが先ず現れるんですね。それが神として現れると。それというのは黄泉の国から持ってきたもので、それが最初に現世に現れるんですね。死の国という意味での黄泉の国はそういった穢れた暗い国。そこからイザナギノミコトが帰ってくることによって、その穢れを洗い流したときに最初に出てきたのが、俗に言う禍津日(まがつびの)神というものだったわけです。地上に様々な禍事や悪いことといったものが起こる原初というのは古事記ではそこで描かれているわけです。
で、その次に出てくるのが、今度はその禍を直す直毘の神というのが出てきて、次に伊豆能売神(いづのめのかみ)が出現します。この伊豆能売神(いづのめのかみ)というのはこれが非常に清らかな神で、穢れを落としきったところで初めて出現するんですね。つまり、直毘の神というのは穢(きたなき)より清らに移る間(あいだ)に位置する存在で、基本的に禍を直すという性質を持った神様なんですね。
イザナギノミコトが体に付いた黄泉の国の汚れ -魂に付いた汚れといったものではなくてね- を落としたときに、それが全て神々として顕現してくる。さっきも言ったように最初に現れてくるのが、八十禍津日神と大禍津日神。体に付いた泥が落ちたわけですから。その次に、この禍を直すために直毘の神が出て、最後に清らかな伊豆能売神(いづのめのかみ)が現れてきて“禊”が完成するわけです。
直毘の御霊というのは、そういった禍を直す御霊ということでこれを題としてつけた。簡単に言うと“漢心(からごころ)”に犯されてほとんど酔ったような状態になった当時の人々に対して、この書というのは禍を直すために、それをあげつらい -それは漢意に似たような行為なんだけれども-、敢えて禍を直すために自分は愚かなことをやりましたというようなことを『直毘霊』の最後に書いてくるんですね。その意味で『直毘霊』という題が出てきます。そこから古事記伝が展開していくわけです。
その当時というのはどれぐらい漢意の影響は及んでいたのですかね。江戸時代ということでそれなりに日本独自の文化が花開いていっていたわけじゃない ですか。その文化の土壌の中で、どれぐらい強くなっていたんですかね。
これは文化の表面的に現れた様々な様式だとかというよりも、むしろ宣長が憂えたというのは、人間の生き死にとか根本のところで自分の行動を律する無意識的なひとつの規範のところにまで漢意という意味での中国や仏教の思想の原理というのが体に染み付いていたということなんですね。だから、善悪の生まれてくる原初、その内部の所にまで、もう産まれてオギャーと言って自分が生活してきて育ってくる間に身に付けてくる中に、本も読まないし、普通に生活しているだけでも身に付いてくる基本的な善悪の観念の根っこに喰いいっているということなんですね。宣長の言っていることは。
だから当然、それに対する反動というのが生まれてきて様々な国学者や特に神道家ですね、神道の中に伊勢神道など様々な流派が出て来たんですね。吉川神道とかね。
だけどその神道そのものでさえ……。もちろん彼らはこれこそ日本本来の心だと思って、それを何とかして人々に「これは凄いものなんだ」と知らせるため に様々に書くわけです。書いて色々な教義を作っていくわけです。
だけど、逆に書けば書くほど漢心に染まっていくと。。。(笑)
そういうことです(笑) 逆に言うとそれに気がついていない。これこそ誠の日本の本来の“教え”であるという形にするわけです。で、そこでひとつの“宗教”と して成り立って、それがまぁ今の言葉を借りれば形而上学として、ひとつの観念体系として確立していっていた時代なんですね。
最終的には、どこかで話をすることになるのでしょうけど、その点で考えると明治維新以降の国家神道というのはかなり問題がありますよね(笑)
そうです。だから明治維新以降の国家神道というのは宣長と無関係ではないのにもかかわらず、基本的に大きな流れというのは後醍醐天皇のブレーンの北畠親房(きたばたけちかふさ)が中世に確立した神皇正統記(じんのうしょうとうき)の教えを元に、水戸国学と儒教、平田篤胤やキリスト教など様々な教えを巧妙に取り込みながら、表向き「国民道徳」という形を借りて、ひとつの“世界”という観念体系を作っていくんですね。
結局、世界観や言ってみれば宇宙観といったものを作るためには求心的な力というか特権的なものを作るわけですね。だけどそれで、その特権的なものを 中心にしてその下にピラミッド構造を作っていくわけですね。何が正しいか、何が正しくないか、それの二項対立が弁証法ということになるので結局は形而上学ということになりますね。
そういうことです。問題にしているのは“教え”がどうこうというのももちろんありますが、それよりももっと問題なのはその問題が立っているベースのところだということです。もう既に入れ替わってしまっている。
もっとシンプルな言い方をすれば、変に頭が良くなりすぎて本当の率直さがなくなっているということですね。
うん。もうそのいま言ったことが結論に近くて、宣長が言いたいのはそこなんです。
色々と言って、そりゃ凄いことももちろんありますよ。だけどある意味では呆れてしまうんですけど、世界の、宇宙の全てを自分が説明しきれるというところに対しての物凄い楽観的な見方が支配しているんですね。そういったものを読むと。
それと同時に形而上学とかああいった人たちの考え方を見ていて、一番「まぁ、お気楽だなぁ」と思えるのはアレですよね。“真理”を知ったら幸せになれるということを考えているじゃないですか。
そう。それは何の確証もないのにそこのところを信じている。
“真理”を知ったって幸せになれるなんて誰も保証していませんからね(笑)
そう。誰も保証していないですけど(笑) “真理”というものは相対化して存在する。自分はそれを“悟る”ことが出来ることに対しての非常に大きな楽観、それから思い込みというのが……。
高邁な思想。
そうです。高邁な思想なんです。それが実は日本にはですねありはしない(笑)
仏教なんですね。その影響なんでねこれは。だから悟りを開くということとか、釈迦は宇宙の真理を悟ったとか森羅万象の最も根源的なあり方、あり様、そしてその原因、なぜそのようになるのか、それを全て悟り極めたような存在が人の中にいた、そういったところを先ず全く信じているんですね。そこに対しての疑問が全くないものだから、自分たちが新たなもの、日本的なものを作るときにそこのベースにのっとって森羅万象を高みからもう一度再構築しようとするんです。
修行とかそういったものをやることによって、最終的に努力をして修行を極めていく人が段々と悟りに近づいていって、その悟りに近づいている人たちによ る階層構造ですよね。どれだけ悟りに近いか遠いか、それによって階層付けられているわけじゃないですか。その階層というもの自体が、ある意味では時間軸の中でどれだけ修行しているかその時間の長さによる階層構造の中で、完全に時間に縛られているんですよね。
そうですね。だから、彼らのいう神道にしても修行の方法とか、目指していく目的の方向の対象の名前が違ったり、様々な段階が違うだけで結局その基本構造は全く同じなんですね。ただ単に、そのひとつひとつの部品を入れ替えだけということなんです。日本的といわれるもの、日本に由来するとされるものにただ単に置き換えているだけにしか過ぎないんです。
例えるとパソコンで言うとOSを切り替えないでアプリケーションだけを換えているという感じなんですかね。
そういうこと。そういうことですね。それでこれが日本ですよと言っているんですけど、結局動いているベースは全く同じなんです。例えばねぇ、俺のパソコン は最新のアプリケーションだと言ってもOSが一緒なら、なんだそんなものかと(笑)
ホントそのことを考えると、宗教などやっている人たちがお気楽だなと感じるのは“真理”を得ることで幸せになれるというのを信じ込んでいるところですね。
そうなんですね。どっからそれを思ったのかということを突き詰めていくならば……。
本当の彼らの一番のでっち上げの部分が見えてくる。
そうなんです。そうなんです。
日本人というのは宗教に対して、無宗教だとよく言われますけど無宗教なんじゃなくて、非常に信心深いんだけれども、いわゆる“宗教”という形態ですよね 、その形態を取っていないというそれだけのことなんですよね。
そうなんですね。日本人の場合は、その“真理”を知るとこの世の王となれるという真理世界において王となって、現実世界をある意味では自分は睥睨できるとする教えに対して「そんなに上手くいかないんじゃないか?そんなに上手い話はないんじゃないの?」という本然的な非常に鋭い嗅覚があるんだと思う。そういうものに対して胡散臭いと思う。だから絶対的な救済を説くようなもの、しかもそれが熱意を持って力強く説けば説くほど、引くというね。こういうのがどっから来るのかというと、昔から色々な人が書いているけれども、基本的にはその胡散臭さを感じるような“こと”の感じ方というのがまだ生きている。 だから、近代宗教に根こそぎ持っていかれない。
実はこの宣長の時代、かなりの影響を受けて持っていかれそうになっているけれどもそれに気がついていない。ただしその胡散臭いという感覚を忘れ去っているかというとそうではないですね。生活の中に時々、かなりの頻度で首を出しているんです。だから、その酔いを覚ますということで彼はこれを言っているんです。彼の他の著作の『葛花』、これも葛花というのは酔い覚ましの薬のことで、『直毘霊』というのも“禍” -禍というのはもともと“曲がる”という意味なんですけれど- を直す、曲がっているものは直すことが出来ます。真っ直ぐする。そのものを中身を入れ替えるのではなく、消去したり除去したりするのではなく、曲がっているものを真っ直ぐに直そうということで直毘、直すという。
ここの“直す”という言葉だけ論じるば、膨大な量になるくらい日本の神道のですね非常に特徴的なやつで、これが一神教なんかとかなり違う。“直す”ということは、基本的には一神教にはあり得ないですね。全部自分の敗北を認めて、全部リセットしてもう一回ひれ伏さないと……。
まぁ、マゾですわなぁ。
そうなんですよ。今のままの自分をそのままにして“直す”というのは基本的にはありえないですね。だから異教徒に対しては、非常に非寛容にならざるを得ないし。まぁ、全面降伏すればそれは別ですよ。
結局、敵か味方しかいないわけですよね。グレーゾーンを許さない、そこらへんの許容というか、懐の狭さに余裕のなさが現れていますわな。
そうなんですね。だからここで最初のポイントとして大切なのは、この書は宣長の世において蔓延していた“漢意”を粉砕して除去してしまうために書いたものなのではなくて、基本的に“直す”というところにこの書の目的があるということです。そこのところを間違って読んでしまうと宣長がまた新たな形而上学を立てて、それを使って広がっている海外思想を排撃するという形で誤読してしまいます。そのような間違いに陥ってしまうのですけどそこではないんですね 。
基本的に『直毘霊』というこの題にそこのところの目的というのはきちんと書かれているんです。
イメージとしては、強い薬をやって体の中の悪の部分を毒だししていこうという西洋医学の考え方よりかは、漢方薬というのもちょっと違うんでしょうけど、多 分一番近いのはアーユルヴェーダなんですかね。アーユルヴェーダというのは、体の自然治癒力をどんどん高めることによって回復させていくというやり方ですよね。それにある意味近いんでしょうね。
そう。そうなんですね。だからイザナミノミコトの祓いの形式をそのまんま、実は結論を言っちゃうと『直毘霊』によって現出させようとした。小戸の阿波岐原の禊払いを、この今の世においてもう一度行おうとしたということなんですね。
だから小戸の阿波岐原で起こった禊祓いというのは、何も過去のものではなくて、いまのこの世において共時的に起こっている。そこのところに対して宣長 というのは、大きなちゃんとした自らの発見を持っているわけなんですね。だからその小戸の阿波岐原の祓いとしてこれが書かれた訳だし、自分の祓いの過程を書いたようなものですね。これが実は“祓え”なんですね。神道で言うところのね。そこが宣長が『直毘霊』を書いた背景にあるわけですね。
で、そこでいよいよ『古事記伝』に入っていく。だからこれを前に置いた意味というのが、そこの目を開かない限りは『古事記伝』をいくら読んでも古事記は語 りかけて来ないということを彼が身に染みてわかったがゆえに、最初にわざと書いている。これは宣長にしては格調が高くて大上段からある意味では宣言 みたいな形で書いている書なんですね。他の宣長の書と比べると小林秀雄も言っているとおり非常に熱いんです。で、熱く書いて鮮明にしているわけなんですね。自分の立場を。 無理とは知りつつも、無駄とは知りつつも、先ず最初にこれを置いたんですね。そこから神々の系譜が出てきて、古事記の最初の一行目の 「天地(あめつち)の初めのとき」の注釈に移っていくという構成を取っているんです。
だからその流れの中で『直毘霊』を見ることで、宣長の個人的な学問形成の歴史、そういったものを辿りながら『直毘霊』を見るよりかは、 彼がそれを古事記の解明という大きな、彼の学問的な、終生のテーマの中でどのように置いたかということを見ていったほうが、この『直毘霊』という本が書かれた意味というのがわかってくるんですね。
これと同じ様なものを書いているものとして『玉櫛笥(たまくしげ)』というものを後年書いている。それはこの『直毘霊』よりもさらに思索が深まっていて、一面詳しくまたわかりやすく書かれているんですけれども方向性は変わっていない。ただ熱さにおいては、この『直毘霊』というものが生まれたという。そこのですね、書が持っている必然性と熱さというのはやはりこちらのほうが勝っていると思いますね。
今回はこれを最初に取り上げるということですね。
35歳から宣長は古事記の研究をはじめてますね。それでいうと『直毘霊』を書いたというのはいつぐらいなんですかね。
大体何歳ぐらいだったんですか。逆にいうとそれだけ仕込んでいたということですよね。
42歳のときですね。35歳から古事記伝を書き始めて7年経って「神代の編」というのはある程度構想が出来上がって下書きも出来てきて、そういった形で自分なりの、彼の言う「古学の眼」を発見をしたその後に、最終的にまとめていったのではないですかね。ただ彼は、第一稿とか第二稿とかいくつかあるので、たぶん並行して行われていったというのが真実だと思いますね。
まぁ、やはり10年ぐらい寝かしていたということですね。
そうですね。古事記を身読しながらそこで彼が見出してきたことというのをある程度の確信がいったところで最終的に脱稿してきたということですね。
その前に「道云事之論」とかいくつか書いてるんですね。『直毘霊』の原型として。それが微妙に変わってきているのは確かなんですね。ただ、いまやっているのは最終的に42歳のときに脱稿したものなんですね。
ポイントとしてはさっき言ったように“禍”を直すということと、そのことで古学の眼を開く。その二つですね。そのことを宣長自身が考えて『古事記伝』を読む前にこのところだけはハッキリとさせて、古学の眼によって読んで欲しいという願いからこれを最初に置いたということですね。
今回は基本的に紹介で留めておきますけど、『古事記』の原文がどのようなものであるかとか、“直毘の神”といった名前がどっからどのようにして出て“直毘”というものの古代日本語の中での位置付けや意味付けといったものも本当はやらなければいけないんです。そこまでやっちゃうとね、話が長くなっちゃうから今回は。
また、今度の機会にということで(笑) 追々と。
ただそこをいくらやったとしても何もわからないんですけどね(笑)
尻尾のところをどうだこうだとやったとしてもどうにもならないんであって、本題に入れなかったとしたら元も子もないんであって。。。(笑)
ほとんどの学者さんはそこで終わっているわけなんですよ。これから本題へと入るという、内容に入る前で終わっているわけですよ。そこしか明らかに出来ないからね。ハッキリ言って資料からは。
それ以上に自分の地位を守るためにはそういったことしか出来ないというのはありますよね。
大学でやったって、結局は宣長をやりたいとかね古代日本のそういったものをやりたいと言っても、結局やることはその段取りばっかりのことなんです。
学者さんの悲劇ですねぇ。
結局のところ、ほとんどの学問がただ単なる言い訳だけのものになっている。自分自身の考えを述べるところではなく、言い訳のためだけに学問をしている輩が多すぎますからね。
そう訓古学。その当時の同時代の学者、または先代の学者に似たようなことが書いてあるとそれの影響を受けているということを先ず持ってくるわけです。同じことがあったって、同時に同じことが生まれることだってあり得るのに、似たものがあると「彼はこれを読んだに違いない」とか、「彼はこの影響を受けて、この人の影響とこの人の影響とを混ぜ合わせてやったんだろう」とかになってしまうわけです。だから必死に既に過去にあるものの中に閉じ込めていこうとするんですね。そういったことが学問として「裏づけがある」という一言の強みにおいて学説としてまかり通っちゃてんですね。
それこそ将に!“漢意”ですね(笑)
“漢意”なんです(笑) 全ては明らかでないといけないんだと。だから宣長を語っているんじゃなくて、ただ単に同時代的に資料として残ったものから辻褄を合わせているだけなんです。
その点、小林秀雄はその術中に嵌らなかったからまだ良かったんでしょうね。
そうですね。そこは非常に。そこだけはね。彼は素晴らしかったなぁと思いますね。戦後にある書の中で
巻頭記
にも書きましたけど、宣長の研究で「これは読むに値するな」というのは、ほとんどもう片手指にもちょっと……単行本として出ているものを見る限り においてですよ。もうほとんど役に立たない。読めば読むほど変な先入観を持ってしまって、「宣長はこの程度の」、「宣長はこのようなものなのか」という変な先入観を与えてしまって、そこで彼の本来の言おうとしていることが完全に色眼鏡で曇らされてしまっていますね。そこら辺が今の時代の一番の問題点だなぁと思いますね。
本自体が出ていませんからね。
現行本として真正面から宣長と対峙したものはほとんど無いです。もし出したとしても最後の解説のところで短いですね、当り障りの無いというか、逆に言うと戦後のですね学会の流行のひとつの理論に則って、それを現代の目から見た感想みたいなものをチョロッと書いてお茶を濁しているというね。
だけど例えば中国って国があるじゃないですか。中国が自分たちの古典の漢詩なんかをですね、中国共産主義の主張で読みきっているじゃないですか(笑)
(笑) 全く実はそれと同じなんですね。欧米近代思想から生み出されたひとつの視点から全てを統括して、そこから作られている概念をそのまま宣長に当て嵌めるんですね。全く時代も違うし、そのような生まれ方とは全く質の異なるところから生まれてきたものなのに西洋近代思想の中から生まれたひとつの、しかも思弁的な操作によって生まれた“概念”を実体化して、それによって宣長を置き換えて論じているものだから、実は論じているものの正体は宣長とは全く関係がなくて、論じている本人たちがでっち上げたひとつのモデルとしての宣長を必死に論じて、それを断罪して様々に重み付けをしたり、あるいはこれは近代の思想に近いだとか素晴らしいだとか言っているにしか過ぎないんです。基本的に言うと。だからそこには宣長はいないんです。
中国の漢詩の解説書を読んで、そこに杜甫がいるかというといないですよね。どう考えてもいまの中国の解説書はおかしいですよね(笑)
われわれもそれを読んでね、私も一時期中国に傾倒したからねそこら辺の本も読みましたし自分でも買いましたけれども、もう読むに耐えない。でも読むに耐えないけれども、じゃ自分たちの出ている本がねそれを笑えるのかというと笑えないですね。
杜甫がですね共産主義的主張を持ってですね人民への弾圧に対してですね慟哭し権力を批判するというですね、この読み方は実に中国共産主義的な主張だなと(笑)
だけどその読み方を笑えないですよね。
そこに現在の中国共産主義社会が持っているひとつの大きな原理的なものの見方が広まっている、逆に強制されているていうか厳然として存在していることを炙り出しているんで、それはそれとして面白いんですけどね(笑)
200年、300年経って後、後世の人に笑われるんでしょうねぇ。
そうそう(笑) これは本当に政治の奴隷になっていたということで、御用学問という形になるのでしょうけれど。その御用学問というのはいつの時代にもやはり存在するんでしょうね。
そういった面で言うとアレなんでしょうね。清の康熙帝がやったことは偉かったんでしょうね。あれは思想的なことは変に入れなかったですからね。
そうなんですね。もちろん彼は満州族であるということもあるんでしょう。
逆にそれで無色透明の立場からちゃんとやったということなんでしょうね。
だから色付けをするよりは過去に先ず何が語られてきたのかということを整理したというところで終わってしまったんで、逆に言うと整理したことにとどめたことにおいてね、変な思想性が付かなかったから研究材料としては非常にいい事をやってくれた。学問でもそれはね非常に大切な作業だとは思うんですけどね。
基礎学問ですよね。
基礎学問です。だから材料を整理するという。バラバラにあって、どこにあるのか入り組んでいるものを整理して誰もが見ることができるような形にまとめあげた、編纂したんですね。
その点は学問としては素晴らしいことをやってますよね。訓古学と呼ばれてますけど(笑)
そうなんですね。いやぁ、実は本当に学者が本来やるべきことのベースというのはそこにある。それに変な意図を持ってくると聖書の編纂みたいになっちゃったりとかね、様々な経典の編纂とかになっちゃうわけね。ひとつの悟りをもって様々な資料をね取捨選択してまとめあげてしまうとね、もうそれでそれはオリジナルでありながらオリジナルなものを失ってしまうんというね。そこが清の時代の乾隆帝を中心とした皇帝が学問を信奉した、しかも様々な文献学的な形で整理したというのはこれは非常に素晴らしいと思いますよね。
じゃ、雑談はこれぐらいにしておいて(笑)
それではいよいよ本文に入っていきましょう。
最初に括弧付けで「此篇(このくだり)は道といふことのあげつらひなり」と彼はそこに書き込みをしているんですね。この「篇(くだり)」というのは道ということの“あげつらい”という、彼はこの“あげつらい”ということを非常に良くないことであるとの形で言っているんだけれども、実はこの書自体も“あげつらい”なんだということを最初に書いてきているんですね。
そこからいよいよ本題に入って、構成として彼が先ず最初に一段上げて書いているところ、これが実は本文なんです。それに対して注釈という形で、様々に本文の意味を敷衍したり展開をしたりしていくというところが一文字下げた部分になります。そのような書き方になっています。
だから宣長が書いた本文を一気呵成に読んで、ははぁん!とわかればね、それに越した事はないんですけれども、そうは簡単にはいかないとのことで、彼はより厳密に正確に肉付けの部分を注釈のところでしてくる。読んでみるとこの注釈の部分というのは本文の部分と付かず離れずというか、一体になってひとつの『直毘霊』という書の世界を作り上げているんで、ここを削除してはぜんぜん読めないというか、逆に『直毘霊』の何を言わんとしているのかがなかなか見えてこないというところまで、注釈のレベルが非常に高いんです。本文と有機的に繋がっているので今回は順次読んでいくことにします。本文を読んだ後に、注釈を読んでいくというかたちで。書のとおり読んでいくのがいいと思いますね。
では最初の一行目からですね。
先ず最初に“皇大御国(スメラオオミクニ)”という言い方をしているんです。先ず最初に“皇(スメラ)”ということなんですけど、これは実は梵語、サンスクリットにも“スメル”という言葉があって同じなんですね。これは至高の存在とかいった意味なんです。また“スメ”というのは統一するとかまとめるとかという意味の“統ぶ(スブ)”という言葉と同源ではないかという説もあります。このように“スメラ”の意味は最高の主権者とか至高の存在。澄んだもの。清いとかいったものに音の形から関連性が考えられますね。
だから“皇大御国”というのは至高の御国、“大(オオ)”というのは形容詞ですね、“御国(ミクニ)”というのはその国に対して尊敬をこめて言った言葉だから自分の国ということなんです。ここにおいて“皇大御国”というのは今現実にある日本という主権国家を言っているのとはちょっと違うんです。われわれがここを現在の国家としての日本というふうに読んでしまうと、実はここのところからまずは躓きが起こってしまうんです。“皇大御国”というのは基本的に古学の眼を開いた宣長の目に映った日本。で、その目に映った日本とは、神代の古伝説が実際に展開し、人々がそれを口伝えにそのまま素直に信じていた頃の、人々の目に現(うつつ)に映った日本のことなんです。
だからここでね、今回書いた本居宣長研究ノート第二回のところをわかっていないと引っかかるんです。要するに“こと(事)”としての国なんですね。これはね。だからこれを北海道から沖縄までを範囲とした現代日本のわれわれの“国”という観念、政治的なひとつの主権国家、行政上の区分としての独立国家として読むとこれは全く変なことになっていきます。
だからこの“皇大御国”というのは現実に存在する国なんですけれども、その内容というか、“国”の内実というものはわれわれの現在懐いているものと全く違いますよということなんです。ここのところで実はわれわれはもう、“漢意”にかなり犯されているんで、「“日本”=“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”の生まれた国」だというのを感じ取ることが出来ないんです。いまのわれわれの取り方だと。
でもここでは正に、そのような論理が自然に展開していけるような国が実在していたという地平で論が進んでいきます。これは後でもふれますが、驚くべきことに実はその国は今でもあるんです。現実のものとしてね。ともあれここは“皇大御国”というところで時空が展開していることを注意しておきます。ここがなかなか読めないですね。自分自身も含めてね。
本文に戻りますと、次に“皇大御国(スメラオオミクニ)”を定義しているところで、“皇大御国”といわれる国という“もの(物)”が明らかにされていて、それは“掛けまくも可畏き”という「直ちに言葉にするのも心に掛けるのも畏れ多い」という意味の形容がついていますね。だから言葉にして対象化して簡単に言えるようなものじゃないということを言っているんですね。ここで。
それは何かと言うと“神御祖(かむみおや)”。要するに神々の中のその“御祖”、色々な様々な神様が出てきた中の基本になる中心的なわれわれの産みの親ということです。その“御祖”である「天照大御神(アマテラスオオミカミ)の御生坐る大御国にして」というのは、「お生まれになった」という尊敬をこめた言葉ですね。
だから“皇大御国”という“大和”という国はですね。これというのは、先ず宣長が書いているのは「言葉にするのも畏れ多い親神である天照大御神が実際にお生まれになった国」なんだ。ここに“皇大御国”の定義をしているわけなんです。
そして注釈に「万(よろずの)国に勝れたる所由(ゆえ)は、先ずはここにいちじるし」と。だから“皇大御国”というのがすべての国に優れているんだと。その理由というのがここにハッキリとあらわれている、と。なぜなら「国という国にこの大御神の大御徳(オオミメグミ)をかがふらぬ国なし」。“かがふらぬ”というのは被らないということです。だから国という国にこの“大御神”の“大御徳(オオミメグミ)”を受けない国は無い。ということはどういうことかというと、この“天照大御神”というのは、ただ単に日本で生まれて日本だけに様々な恵みを与えている神様ではなくて、森羅万象において生き物全てに恵みを与えている存在なんだということで、ここで俗に言う国家論の範囲を超えてしまっているんです。
宣長は国学、国学と言われるんだけれども、ここのところで国とか国家主義、民族主義といった概念が実は無化されているんです。ここが普通読めない、皆。
彼において“国”というのは万(よろずの)国に対しての“皇大御国(スメラオオミクニ)”というのが二項対立として出てきているのではなくて、万(よろずの)国の中の中心にある“皇大御国”。その万(よろずの)国も“皇大御国”と共に“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”という大御徳(オオミメグミ)を被っているんだけれども、この全ての存在の親神たる“天照大御神”が生まれたのはこの“皇大御国”だという論理の展開なんです。
その“皇大御国”というのと万(よろずの)国が違うのは何なのかというと“天照大御神”が生まれたということなんです。
ここら辺になると現代人は「ドッカーン ! ! 」となってしまって、もう何の妄想と言うか、信仰の世界のね、旧約聖書の世界のようにね思ってしまうんですけど、実はこれは全くあたりまえのことだということが徐々にわかってくると思うんで(笑) ここのところでね、最初のところで彼が言っているのはそういうことなんですね。
まぁ、頭の中のパラダイムを変えないとわからないでしょうなぁ(笑)
わからないです(笑) いくつか簡単にポイントを説明しておきましょうかね。これだけじゃまずわからないと思いますんで(笑)
まず“天照大御神”というとわれわれが考えるのは神道の神で伊勢神宮の内宮に奉られている神様で、古事記の中では正に“伊邪那岐命(イザナギノミコト)”が小門之阿波岐原(おどのあかぎはら)で禊払いして禍津日神(まがつびのかみ)が現れて、それから直毘(なおび)の神が出て“伊豆能売神(いづのめのかみ)”が出てその後に三柱の神が現れる。ひとつが左目を洗ったときに生まれた“天照大御神”。右眼を洗ったときに出てきた“月読尊(ツクヨミノミコト)”。鼻を洗ったときに出た“須佐之男(スサノオ)”と。これが一人神として、男の神である“伊邪那岐命”から生まれたんです。その三柱の神が生まれて伊邪那岐命というのは非常に貴く良い子を得たと喜ぶんですね。そしてそれぞれに役割を与えるわけです。
“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”というのは“高天原(たかまのはら)”という世界を、あなたが治めなさいと。“月夜見尊(ツクヨミノミコト)”は夜の世界。“須佐之男(スサノオ)”は海原、この地上ですね。それを治めなさいということで、“天照大御神”というのは基本的に“高天原”の神なんです。
古事記の世界観だと世界は三つあるんですね。“高天原”と“中つ国(なかつくに)”と“黄泉国(よみのくに)”。だから世界全てというとこの三つなんです。その中で“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”というのは“高天原”を統べる神なんです。それが伊勢神宮に祀られていて古事記、あるいは日本書紀を始めとして古語拾遺などに“天照大御神”はどういう神であるのかということは古伝として残っています。
で、ただここで言う“天照大御神”というのは、宣長の場合はちょっと違う。 これは実は、いまもそこにありますよ。今日も出ています。
太陽。
太陽です。もうこれでパラドックスが益々広がってくると思うんですけれど(笑) 何かの精霊として伊勢神宮にいる神様ではないんです。現実、実物としていま光と熱を地球に対して出しているんです。もし生き物が生きて、地球が生き物としてひとつの生命体として生きていくのであるのならば、最も大切なものって一体何ですか?と考えたときに水もあれば空気もあれば酸素もあるでしょう。けれどもその全てが生まれる元というのは実は、太陽の熱・光なんです。お天道様。万物の生命の産みの親としての太陽というもの。その太陽そのものがイコール“天照大御神”なんです。
それは太陽そのものであり、これはちょっと凄いですよ(笑) ひとつの人格を持った神として古伝にその事跡が残っていて様々な意志を持った生き物としての神なんてですこれは。だからその御霊(みたま)が伊勢神宮に祀られているけれども、その御霊を“天照大御神”と言っているのではなくて太陽そのもの。
その太陽が生まれた国が日本。現代の文脈でこれを翻訳すると日本というのは太陽である“天照大御神”が生まれた国なんで万(よろずの)国に優れているんだ。なぜなら太陽の恵みを受けない国はこの世の中にないからだ、 となるんです。
一番最初にその恵みを受けている国だから偉い!(笑) ある意味では一番わかりやすい、物凄くわかりやすく考えるとそういうことですかね。太陽の恵みというものを、一番最初に太陽は自分たちのところから出てきたんだからその国は偉いんだろうと考える(笑)
ちょっと問題はあると思いますが、素朴に言えばそういうことですね。ただこれはもっと深くて、ここがスッと行くかいかないかでほとんど決まるんです。そのために書いてあるようなものなんです。
実は、ここで「ものが存在する」とは、また、じゃあ“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”、つまりわれわれが知っている太陽という名前で括られたひとつの概念が、われわれの心の中でどのような内実の備わった実物として立ち上がってきているのでしょうかと考えてみます。
この実物というのは、先ず最初にわれわれは生まれてから“科学”というものを基準として理科などで勉強していって、先ず太陽系というのがあります。太陽系は宇宙の全てではない。銀河系というものがある。銀河系という島宇宙の中の辺境にあるのが太陽系です。地球はその太陽を中心とした惑星の中のひとつの星です。太陽というのは、われわれの惑星の中の中心にあって光と熱を発している存在なんですね。われわれが現代で見ている内実を言っているんですよ。表面温度は約6000度で中心核(コア)は1600万度と言われてて、非常に明るくこの世の中を照らして昼と夜の違いを作っていますね。これは恒星として分類されて、われわれの惑星とは違って自分から光を放つことができる存在である。そこには生命はない。というようにわれわれは考えています。それから、この太陽はこれから老化していって最終的に赤色巨星から白色矮星へと至って寿命を全うする。その寿命はいくらでしたっけ。確か約100億年と言われていますね。地球というのは太陽の周辺にあった構成素が別れていってやがて軌道を描きながら円運動をしてできあがっていったものということを学んでますよね。
われわれにとっての太陽というのはそのようなものとしてあるわけです。太陽と言ったときに、実質として形作られるものというのは、先ず非生物で光と熱を発する物理的存在で寿命があって、最終的には地球をも飲み込んでいくもの。ただし地球はこれから分離したと。ここら辺じゃないですか普通に言うと。
だからわれわれが太陽と言ったときに、その“もの”というのは何かの実体としての太陽を指しているのではないでしょ。ほとんどわれわれが共通認識として現代科学でこれが正しいと認められている“もの”とイコールで繋げているんですその実体を太陽というものであると。
つまり、われわれが太陽と言ったときには、様々にわれわれが調べてきて正しいといまの時点でわかっていることをそのまま当てはめて、それを“太陽”と言っている。それが実体ですよ。太陽の。
太陽というものを認識するときに、太陽というものを指示する概念を使ってしか、私たちは太陽を太陽として見ることが出来ていないということですね。
そういうこと、そういうこと。そういうことです。だから基本的にわれわれの見ている太陽も実はわれわれのこころと体と行為の中から生まれてきた“こと”のひとつなんです。
借り物の概念を使ってしか認識していない。
借り物と言うより様々な思弁を尽くしたり実験したんですよ。そこにおいて仮説を立てたわけでしょ。太陽というものに。実測したわけじゃないけれど、様々な物理的方法なんかを使って科学的な方法で。そこにおいて「それのようなもの」として信じることによって“太陽”というのは安定したんですよ。基本的に。われわれの時代には安定しているんですよ“太陽”は。わかります(笑) 不可思議はないでしょ。
そこら辺を一番よく説明しているのは科学史なんか見ると全部バレてきますよね(笑)
ところがこの“太陽”は科学史の中においても100年前くらいに見方として出てきたものであって、それ以前の人々が“太陽”そのものとハッキリと“太陽”として認識していたものと名前は同じなんだけれども実は違うんですよ。かなり。また100年前、当時の科学で明らかにされていた“太陽”も、現代の最先端の科学で明らかにされている“太陽”と比較すると、名前は一緒でもその科学的内実はかなり異なってきているんです。近未来には、今の最先端の科学に裏付けられた“太陽”の内実さえ、大きく書き換えられてしまうでしょう。
このように“太陽”の内実というのはどんどん時代と共に移り変わっていっているわけです。こんどはこの形、こんどはこの形、次はこの形に、てね。
だからいまわれわれが言っている“太陽”というのは、2006年の時点のわれわれが持っている共同的な認識としての“太陽”なんです。
で、実は“太陽”というのは、先ず第一に実物としての“太陽”。本物の存在としてある“太陽”とその共同認識としての“太陽”が重ねられているんだけれども、実はここの間には……。
乖離があるんですね。
乖離というかイコールとなるところに……。
概念に対しての信仰がありますよね。
あるんです。あるんです。これが。これは科学史をやると非常によくわかるんですけれど。
こういう風に見てくると実は、じゃあこの先に“皇大御国(スメラオオミクニ)”を生んだ“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”としての“太陽”はあるのか。
わかります?これは“こと”としての神なんです。
この本居宣長研究ノート第一回のところで言霊(ことだま)ということを書いています。ここの“こと”ということ。これは岩波古語辞典で大野晋さんが書いているやつですよ。古代社会では口に出したことはそのまま“こと”、事実・事柄を意味したし、また出来事・行為はそのまま言葉として表現されて信じていた。それで“言葉”と“こと”は未分化であったんです。
ということは“皇大御国(スメラオオミクニ)”の“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”と名付けられた“太陽”というのは、われわれの持っている“太陽”の姿と全く違うんです。
もっとここのところを深く言うと、全く“こと”のあり方が今のわれわれが持っている認識の方法と全く違う。言葉の世界で現れた“こと”の事実の迫真性は現実の世界で起こったものと未分化。そこがなだらかに繋がっている。それが想像できますか?
なかなか出来ないでしょ。ということは、“天照大御神”を本当に理解しようとするなら、この世界に生きるしかないんですけど。
かと言って戻るわけにも行かないですものね。簡単に。
でもね実はわれわれはここに生きているんですよ。ほとんど。
われわれが実は行為をやっていて何が一番基点になって動いているのかというと、現実の世界にそれが起こったからとか、あるいはそれが心の中の現象だからといって、実は断絶していないんですよ。心の中に起こった事実というのは非常に大きなインパクトとしてわれわれの次の行動を左右するんですね。
心で思ったからそれが現実の世界で失敗するということもあるわけ。いやぁ、現実は現実だからと言ってコントロールしようとしても例えばオリンピックのね、最後のところで絶対失敗しないようにとしたとしてもほとんどの人が失敗してしまう。心の世界でいくら思ったってなかなか出来ないし、逆に心の世界で動揺があれば現実世界にも大きく反映してくる。
だからそこのところをカチッと断絶していっている見方自体、実はここで“漢意(からごころ)”が発生しているんです。
素直に取ればわれわれにとって正に“もの”と“こと”の世界の連鎖、実物の存在というのは、これは言葉であろうが現実の客観世界であろうが、実は同じ様に起こっている。同じ価値として。そこに価値としての序列はない。これは社会を形成して、契約したり様々な他人との間で営みをやるから色々とそのことを分けてますけどね。
心の中で思っていてもかまわない。行為に出してやったら犯罪なんだと。法学上の概念で分けていますけど、実際はほとんどですね心の中で起こった“こと”の大きさとか、あるいは“こと”として起こったということ、“言葉”としてそれが発せられたという“こと”の重さというのは非常にこれは大きくて、そこのところでわれわれの行動というのは実は動いているし、われわれの行動だけでなく歴史自体もそれで動いている。ほとんど。
世の中の“こと”って何か客観的な理由があって戦争なんかが起こっているわけではないんです。同じ様なことを受けていてもある人には起こらない。でもこの人には起こっているんです。この国には起こっていないのに、この国には起こってきてそれが大きな問題になってそれがさらに国民全部を巻き込んでのひとつの大きな怒りになったりしている。これっていうのは正に“こと”として動いているんですよ。だから世界が展開するだとか世界が動くだとか言っている時に、歴史書で書いていたり様々な科学で言っているものではわれわれは動いていないんです。素直に言うならば“もの”と“こと”が未分化の中でわれわれはいまも生きているし、動いてきているんです。
科学史でもしっかりやってくればこれだけ“太陽”というものの実体と名付けている内実が変わってきている。実はその内実こそがわれわれと関係する“太陽”の実体なんです。“太陽”そのものの本源はありますよ。物理的なものは。でもその物理的なものとわれわれが“太陽”と指し示して言葉で表現して認識するときの内実というものは、実はその時点では重なっているんだけれどもその“太陽”そのものの実物ではないんです。
じゃあ、その実物を本当に理解しながらわれわれは動かなきゃいけないんじゃないかということをやってしまうと永遠に実物には会えないですね。科学の世界で“太陽”の真実を極め尽くすことはできますかね?物理的にも化学的にも。銀河系を明らかにすることはできますかね?全くできないですよ。銀河系を明らかにすれば太陽が来年銀河系のどのような位置に来て、いつの日は太陽黒点の模様がどのようになって、それが地球にどのような影響を及ぼすかと予測できるはずですよ。だけど仮にそこまで科学で予測できるようになっても今度はまた新しい地平がパラドックスとして生まれてきます。それが人間が扱っている科学というものの性格だから。だからできない。
ここで言う“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”としての太陽というのは、現時点での結論を言いますけれど、その当時の“天照大御神”と名付けた人々の心の中で立ち上がった“こと”としての“太陽”です。それは万物の親神として、自分たちの命を産んでくれた親としての神でありこれがなくてはひと時としてわれわれの生活ができない、ありがたくも畏こき、言葉に出して言うのも本当に畏れ多い存在、しかもあるときには日照りによって苦しめられながら、われわれにとって優しいだけじゃなく厳しい面も持った、それらを全て包摂したところで“天(アマ)”+“照(テラス)”+“大(オオ)”+“御神(ミカミ)”。名詞+動詞+形容詞+名詞ときている。だから全ての言葉の原理、日本語の原理・原点が全て入った“もの”として名付けたんですよ。その神を。
そういう意味ではこの“天照大御神”というものは非常にですね、つまり古代人が感じていた“天照大御神”というものをわれわれがこれを理解するというのは難しいんですけれども。万物の親としての“天照大御神”が実はいまも刻々としてね、まだ日本で生まれ続けているんですよ。日本では。
“太陽”というものに対して、お天道様に対して手を合わせるというのを世界の先進国になったというのにまだやっているというか、いまだに日の出を見たときに手を合わせてしまう。そういう国は実は日本しかなくなりつつある。それだけ基本的に言うと、その非常に素直な心なんですよ。古代人はより一層ね。
直き心を持っていた人々。なぜ“直い”かというと普通の国の人というのはそこでひねくれてね“God”とか“天帝”だとかを持ち出してきて、それによって“神”を作った。その神のひとつが“太陽”であるとか、あるいは“神”を作ったまた上の存在があったといった形にして、“太陽”そのものを尊んでいないんです。ほとんどの宗教でも。他の国でも。
エジプトでは太陽神のことをラー神、アメン神と言うでしょ。でもいまは滅びていますよね。インドだとスールヤ神ですね。でもスールヤ神というのはヴィシュヌ神の化身だとかね様々な神々の連携の中で、要するに後で作った形而上学の中で置き換えることによって“太陽”そのものを置換している。
結局そこで“宇宙観”というものを作っているわけなんですね。
“太陽”が先に実物としてあってわれわれを産んでくれていまも育ててくれているのにもかかわらず、自分たちの頭で作った世界観の中に“太陽”を持ってきて逆規定してそこで“太陽”というものをもう一度作り直して自分たちの秩序の中に置いたんです。なぜそんなことをしたんですか?
要するに素直じゃないんです。
“太陽”という実物をそのままそのものとして尊べばいいじゃないですか。原始の人はそのようにしてきたはずですよ。ほとんど。
自分たちが作った世界観というのが実際はでっち上げだというのが薄々わかっているわけじゃないですか。その立場からすると“太陽”という規定できないものがあるということは絶対に許されざることですから、その立場の人たちからすると絶対に何らかの形で秩序の中に規定しなきゃいけないわけですね。飼いならさなきゃいけないわけじゃないですか。
そうです。じゃあ、世界観というのは何かというとね、実はこれは民族の共同幻想として生まれた世界観とかだったらまだいいんです。ところが往々にしてこれっていうのは、共同体から外れたある意味じゃ変人的な人が非常に日常とかけ離れた状態になって、その心の中である世界の没落体験のようなことを通じてその人の心象に中に現われた、あるいはその中で見つけたと信じた“真理”、そこをベースに世界を説明する概念として立ち上げたのが世界観です。
世界観というのが何のために、どういったことで発生するかというと結局のところ“始まり”と“終わり”というかたちにおいての“歴史”という“時間”というものが発生しないといけないわけじゃないですか。その点、“歴史”というのは禍津日神(まがつびのかみ)の一番の活躍の場ですよね。
それで言うとどこぞの宗教とは言いませんが(笑) “終わり”というものを勝手に作り上げてですね、“終わり”になった瞬間に最後の審判というやつですね。最後の審判が起きたときにはゾンビが蘇るというかたちでやっている(笑) その預言をやっていた人たちというのは、結局ゾンビ宗教なんですよね(笑) 死体礼賛なわけですよ。それで言うと、日本の言い方で言うと“黄泉国(よみのくに)”万歳ということですよね。そのひとたちからすると一番手に負えないのは“太陽”でしょうね。
そうなんです。“始まり”と“終わり”を作ってしまうとどうしてもそうなってしまいますね。だから“太陽”をどう位置付けるかというところで各宗教の非常に個性・特質が分類できるぐらいです。より素直な宗教になればなるほど“太陽”を尊んでいる。だってこの世の中で、これはある西洋の学者が言ったんですけれど、日本の太陽信仰というのはあらゆる神々の信仰の中で最も合理的だと。なぜならば“太陽”がなければわれわれは地球上の生命は一日として生きていけないと言っています。これは現代人ですら普通にわかっていることですよ。ところがなぜそれがヤハウェになったりするんですか?そこのところに“太陽”が生まれたその先を考えているんですよ。じゃあ、その先を見てきたんですかね?自分たちで創造しているんですよ。
さっきの話に戻ると世界没落体験だとか神秘体験をした個人の心象に起こった私事の体験から世界をもう一度再構成して、それが人々に対して強力なカリスマ性を持って伝播していったという。これが近代宗教ですよ。教祖がいる。教祖の非常に特別な体験に基づいている。
それと同時にもうひとつ付け加えるとするなら、必ず“脅し”が入っているという(笑)
(笑) これを信じないと悪魔に魅入られるだとか、要するに地獄の体系を作っちゃうわけですね。天国から地獄までの階層を作るわけです。その階層が上がったり下がったりするその仕組みも作っているんですよ。それはある宗教では因果と言い、ある宗教では神への献身と言い、現代でも共産主義でも階級闘争だとかね。様々なイデオロギーの中にそのような世界の秩序と秩序の中を動いていく動き方・原理がある。そういったものが個人から出てきてそれが世界に行ったのか、それとも自然自然のうちに共同体の中で形成されてきて、熟成されてきてそれが皆に受け入れられてきたものなのかというところに大きな違いが出ててくるんです。
そこら辺のちょうど中間の位置に位置しているのがチベット密教なんでしょうね。
かもしれませんね。チベット密教というのはボン教というね、土着の宗教がインドの後期仏教・密教思想と絡んでいって作られていったということでかなり変形はしてきている部分はあるでしょうね。ニンマ派だとかに行っちゃうとね、土着の匂いは強いですね。
土着的なもので熟成されてきたものということで、まだ素朴な部分は持っていますね。だけれど入ってきている教えというのがかなり近代宗教的な部分を持っているわけですよ。だから折衷的な宗教であるというのは確かですね。
そうですね。
逆に折衷的な宗教だからこそ自分たちの場所に拠っているわけですよ。その場所に拠っている宗教を他の場所に持って来たらどうなるのかということですね(笑) それがオウム真理教事件の一番の背景でしょうね。
そういうことですね。まぁ、そろそろ話を戻しましょう。インドなんかでもスールヤ信仰というのは昔あったわけです。バガヴァット・ギーターにおける教義の始祖ヴィヴァスヴァットとか、古来のヴィシュヌというのは太陽のことですね。だからクリシュナ神というのも太陽と関係があるんですね。それとあと、イクシュヴァークという太陽の種族があるんですね。
そういうことを見てみると、日本の“太陽”が元でそこから流れを引く者が王族としてこの地上に現われて平定したというこの構図は、実はこの日本だけではなくて世界中様々なところにあるんですよ。古代においてはかなり、日本以外にもそのような古伝をそのまま素直に信じ、“太陽”は何よりも大切で、自分たちが作った色々な神よりも本源的な存在として尊ぶというようなものを残していたのは確かなんだけれども、いまの世界でそれを、近世または歴史が残されるようになった有史以降でしっかりと残している国というのはほとんどないんです。
ここだけですよね。
ここだけ。
そうするとそれだけ心が素直である。“漢意(からごころ)”がない。だから宣長は「“皇大御国(スメラオオミクニ)”は万国(よろずのくに)に優れる」と言ったんです。生命が生きていける本源である“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”という神がいまも生きている。いまも生まれ続けていけるだけの素直さ。“漢意”に眩まされていない国。だから「万国の元(もと)つ国」なんだということを言っているんですね。
だからここに書いてあることというのは、何ら国粋主義的なとかね排外主義的なとかね。そういうことではなくてそういった古伝説を、彼のは場合はインドと中国を比べるんですけどね。そういったことから見えてきたものなんですね。
で、ちょっと話をガラッと変えてね。宣長の主張とも少しずれてしまうんですが、あえて言います。実はこれっていうのは、本当の“事実”である“可能性”もあるっていうことなんです。少なくとも可能性はゼロではない。
先ず最初に太陽が地球、日本から産まれるっていうことはありえないだろうと、“現代科学”では。ところがですね、普通は大きなものから小さなものが産まれると思っているでしょ。それというのは、われわれは親から生まれる子供は小さいから、大きいものが小さいものを産んだのだと思っている。だから太陽から地球が産まれたと言えるだろうと。でも地球から産まれた、ましてや日本から産まれた可能性なんてありえないと考えますね。
でもこれってハッキリ、どのように生まれたかというのはわかっていないんです。本当のことを言うとね。誰も実際に見たわけじゃないですから。“科学”でもね。何らかの形で関係はあっただろうとは言われているけれどもどのように関係があったのかは結局のところわかっていない。現在言われているのも、多くは仮説の領域に過ぎないんです。
ここで注意してもらいたいんですけれども、自分を「主」として立てるときは相手は「客」になるから、主客転倒、つまり地球から太陽が産まれたとなるんです。これはぜんぜんオカシイ話ではなくて、逆に“こと”の世界だと、この考え方のほうが遥かに素直なんです。
もちろん“科学的事実”ということからするとトンデモ話であることは確かでしょう。ですけれどまず、われわれが持っている“科学的事実”というのがひとつの信仰でしかないのは科学論を読めば非常に良くわかります。そして、古伝説の人々にとっては現代人の“科学的事実”としての太陽よりも、日々の生活の中における“こと”としての太陽のほうが近しいものであったと言えるんです。古伝説においてはこの考え方が遥かに素直なんです。
“科学的事実”といったその基盤がどれだけいい加減で、でっち上げでしかないのか、そもそも“事実”と思っているのが「もっともらしさ」に対しての信仰においてのみ成り立っているのが見えてくると、そのトンデモ説も無碍に否定できるものでもないんですよね。
そうなんです。ここのところはちょっとわかりにくいかもしれないけど、少なくとも古伝説の人々においては地球から太陽が産まれたと言ってもぜんぜんおかしくないんです。
言ってみればパラダイムが違うのだからということですね。
そうです。で、その中の日本という非常に狭いひとつの国、そこから“太陽”は産まれたと古事記には書いてある。じゃあ、これが全くの妄説かというと、実は日本列島は世界第一の火山地帯であり、全地球の地震エネルギーの10%もがここに集中していると言われています。この狭い地域にですよ。それが集まっている世界一の火山国、それが日本なんですよ。言うまでもなく、火山と地震は地球の最も原始的な活動形態です。それだけマグマの動きが活発で、それが地震や火山の噴火、温泉などによって、地表にダイレクトに表れている。こんな地域は、他にほとんどありません。
そうすると“科学的”にはトンデモ、妄説と言われるでしょうけど(笑) 地球と太陽が分かれるときに、後に日本と名づけられた地域で別れた“可能性”だってあるわけです。最後に二つが分離したときに。すると“太陽”が“日本”から産まれたと言ってもそんなにおかしくないし、その可能性は決してゼロではない。
少なくとも古伝説の世界においてはそのように捉えることはとても素直な見方だといっていいんです。なにしろ古伝説では客体という“概念”、つまり後付けの世界観・宇宙観を作っているわけではないですから。そうすると当時では“地球”が主体になっているわけですから、“日本”から“太陽”が産まれたと当時の人々がそれをそのまま受け取って書いたというのは“こと”の世界からいって真実だし、もしかしたら“科学的”に“事実”である“可能性”だって否定はできないんです。科学論なんか見ていくとね。
火山というのは地球のマグマエネルギーが噴出する場所としてあるわけです。そのマグマエネルギーが日本のところだけ突出しているわけですよ。そこから“太陽”が分離したと言ったってトンデモ話や妄言でもないんですよ。たとえ今日の“科学的常識”からすると間違いなのかもしれないけど、そのようなものとして当時の人々は“太陽”を捉えていたのかもしれない。
そもそも実際はどうであったのかというのは現実に確かめる手段はないし、いくら“科学的”と言ったとしても「そうであっただろう」と推察しているのに過ぎない。それに現代のわれわれがもっともらしさを感じているだけにしか過ぎない。そのもっともらしさが真実とされているだけにしか過ぎないわけです。それに対して、もしかするとそれと同じことなのかもしれませんけど、古伝説の人たちにとっての“太陽”というのはそういうものであったし、人間の“こと”の世界においてはそのほうが真実味があるんです。素直なものの見方をするとね。
だから小戸阿波岐原(おどのあはぎはら)がどこにあるのかと色々な神道家が説を出していてね、“日本”というのは世界の雛型で地球全体のことを“日本”という名前で名付けて、その当時の“世界”というのは“日本”だったから……、と書いている人もいます。それ以外にも様々な取り方が出ているし、それはそれでよいのだと思います。いまの“日本”の国の国境がそのまま“日本”と言っていたわけではない。そういう意味では全くそのような説を取らなくてもいいんですけど、“科学的事実”に擦り寄って考えたとしても否定はできないんです。
こちらが「主」になれば“太陽”は“日本”から産まれたになるんです。現実に。元から“地球”があったというよりも、元が“地球”だったのが後に“太陽”が分離したと考えてもよい。
もっと正確に言うと、“地球”と“太陽”が分離していない段階はわれわれが「主」になったとき“地球”になるんですよ。“地球”というように分けて考えるようになったのが現代のわれわれの考え方、世界観ですからね。要するに単なる名づけ方、概念のとり方の問題なんですよ。元の考え方でいうと自分たちが「主」になるから“太陽”も“地球”も分離していないですよ。基本的に言うと。一体のものとしてあったのがたまたま分かれたと。「自分たちの」ところから分かれた。その「自分たちの」と思っている“日本”は、いまのこの“日本”の国土ではないんです。
(笑) トンデモ説ですねぇ。何を言わんとしているのかはわかりますが、一般的には何を言っているのかさっぱりワカランでしょうなぁー。
(笑) これは将にパラダイムを粉砕しないことには見えてこない話なんで……。
ちょっと危険ですねぇ(笑)
危険なんですよ(笑)
だけど昔の人からするとそう考えるでしょう。
そうですよ。当たり前ですよ。
当たり前でしょ(笑) 変な概念、世界観に染まらないで、目の前に起こっている事象をそれそのものとしてのみ受け取っている人たちからすると。昔の人はそう考えますよ。
だから最初に言った、太陽系に“太陽”と“地球”があってという世界観で論じているから奇異に思われるし、“日本”から“太陽”が産まれるなんて馬鹿なことを言うんじゃない!と思われるけれども。
だけど昔の人たちは、それを普通に感じていた。
そうなんです。普通に感じていたんです。それと共に、もしかしたら本当にそれが起こったのかもしれないんです。 可能性は少なくても、決してゼロではない。
もちろん現代科学から考えるとトンデモ説ですね。しかし私たちが信奉している“科学”というのもひとつの信仰。科学論ではパラダイムと言いますね。様々に見える様相の中であるひとつの側面から切り出してみた実相でしかない。そもそもものをものそのものとして見ること自体が不可能だということまでわかってきている。その視点から見ると、古伝に生きていた人たちが見ていた“天照大御神(アマテラスオオミカミ)”は少なくとも私たちの目に写っている“太陽”と同じなんだけれども、全く異なった様相をしている。
そういう理解でもいいと思います。現代人にはね。もしかしたら日本から太陽が生まれたということが起こったのかもしれない。そもそももとは太陽と地球は未分化だったわけです。その後、分離しているわけなんでどっちを親として取るか選び方によって主客は転倒するから、自分たちの地球を主にすれば“太陽”は子ですよ (笑)
強引な話ですけどねぇ (笑) そうですね。
地球のどこかから分離しているわけですからその分離した場所を“日(太陽)の本”すなわち“日本”と名付けたら、“太陽”は“日本”から生まれたということになるわけですよ。 繰り返しますが、これは要するに単なる名づけ方、概念のとり方の問題なんです。
少なくとも古伝に生きていた人たちにとっては地球というのが丸い形をして世界がこれほどまでに多種多様であるということは知らなかったわけですよね。自分自身が生きて視野を伸ばせる範囲とそのプラスアルファが想像できる範囲の全てだった。自分たちの生まれた国が世界の中心だった。そこから考えると、彼らが“太陽”は“日本”から生まれたと考えて全くおかしくないわけですね。当然といえば当然の話ですね。
八百万の神々がいることから、神代の人々も世界が多種多様であるということを十分知っていたと思いますが、そう考えた方が現代人には納得しやすいかもしれません。仮にその部分を全部抜いたとしても“こと”の世界としてこの国がいまだ“天照大御神”という“太陽”が生き続けている、生まれ続けている国。“太陽”があるからじゃないですよ。正確に言うと“天照大御神”としての“太陽”が生まれた国なんです。 ここがもっとも大切なポイントになります。
つまり、古伝を読もうと思ったときには、その古伝に生きていた人たちが見ていた“太陽”、つまり“天照大御神”をこころからの共感を持って“太陽”を自身のこころに置けるようにならないといけないということですね。それと現代のわれわれの“科学的”な視点が優れているのかというとそういうわけでもなく、どちらも心象に写った真実度は同じであって優劣をつけることはできないということですね。
ここはとても誤解しやすいところなので少し説明すると、「神代は今日のように科学が未発達だったため、当時の人々は宇宙の本当の姿を知らず、荒唐無稽な伝説をそのまま信じてしまった。しかしそのような伝説といえども、彼らの心の中で真理として出現したのは事実だから、その点は認めてやろう。だから古伝説を読むときは、そのような彼らの視点に立って読んでやらないといけない。」などということを言っているのではないのです。このような見方こそ、実は宣長のいう「漢意(からごころ)」そのものなんですね。
また、古伝説を生きた人々と現代人の見方が二つ相対して共に真理として存在するといっているのでもないのです。“こと”の世界では、本来それらはまったく一続きのものなんです。俗に言う“真理”云々はあまり関係ないんです。そもそも、その“こと”がこころに及ぼす感応のおける真実度は優劣がつけられないんです。実は今の世の中も人も、本当はそこで動いているんです。“客観的真理”とかではなくね。まさに神代即今、今即神代ですね。これは単に昔の人にとってだけの真実ではないんです。
言葉と事(こと)が未分化な“こと”の世界で生きていた人々には、現代の「真理」云々という概念(すなわち漢意)自体がそもそも存在しないんです。在るのは事象の生々しいまでの圧倒的な実在感、「そのことが確かに起こった」という事実の持つ形容しがたいまでの重みのみです。この事実の持つ迫真性に比べたら、特定個人が頭で考えた観念体系における意味あいや真理など、全く取るに足らないものだったのですね。その奇異(くすしあやし)き事実そのものを素直な心によりそのまま受け止め、それに畏き「神の名」をつけることによって、自分たちの世界に初めて取り込むことができたのです。
ところで宣長というのはその当時のオランダの世界地図や暦、さまざまな資料まで詳しく調べていて、日本が世界の中でこんなにも小さな国だということまでちゃんと知っています。地球が丸いということも凡そ知っていた人です。
それを知っていた上で、この三行を書いているというわけですね。
天照大御神”は万物に恵みを及ぼしてわれわれを生かしてくれる生きた親神なんです。そしてこの神は“皇大御国”に確かに生まれたんです。そこまでわかるとこの三行がようやくわかります。
この眼を彼は開いていた。宣長はね。
巻頭
壱
弐
参
肆
五(上)
五(下)
六
七
八(上)
八(下)
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