巻頭言
ごあいさつ
この度、“本居宣長研究ノート「大和心とは」”を執筆することになりました海彦(うみひこ)といいます。本論の執筆の動機と、連載の形式について説明いたします。
目的
本論は、わが国近世の国学者、本居宣長の思想研究を通して、日本人の根底にある精神の型、すなわち「大和心(やまとごころ)」を闡明せんとしたものです。
戦後六十年を迎える今日、日本人である我々のアイデンティテイは、欧米にその根を発する近代主義イデオロギーの多大なる侵蝕に曝され、今や自らの依って立つ歴史・文化・伝統はもとより、その根本にある国柄、すなわち民族の精神の型(エートス)まで、喪失しつつあります。まさに日本民族全体が、「地球市民」などと形容される、得体の知れない「根無し草」に堕しつつあるといっても、過言ではありません。その危機意識からか、巷には「武士道」をはじめ、「日本人のアイデンティテイ」を探求した書籍が、数多く出版されているようです。
しかしながら、真に「日本とは何か」を深く考えようとする時、我々が絶対に無視することのできない思想家がいるのではないでしょうか。
それは外ならぬ、国学の大成者にして、近世最大の思想家である本居宣長です。
我が国の歴史に存在する数多の優れた思想家の中でも、宣長ほど「日本とは何か」を深く、生涯に亘って探求し続けた学者は少ないでしょう。その業績の巨大さ、内容の奥行きの深さはもとより、何よりも、その業績の殆どが、「日本とは何か」を闡明せんとした内容であることにおいて、宣長は、第一に特筆されるべき存在といえましょう。
従って、我々が本気で「日本人のアイデンティテイ」を探求しようとするならば、その導き手として、宣長ほど最適な思想家はいないであろうし、彼の思想研究を通して、「大和心」の深奥に迫っていくのは、試みられるべき価値のある、一つの有力な手段であると思われます。
当然、これほどの学者ですから、その思想の研究書や論文は、村岡典嗣や小林秀雄の歴史的大著を筆頭として、数多く発表されています。しかし、現在我々が一般に手にすることの出来る著作は、その大部分が戦後において書かれたものではないでしょうか。
ここに一つの問題が生じます。それは、小林秀雄など少数のものを除いて、これら戦後の著作には、ある共通した傾向のあることです。
つまり、これら著作は、宣長の思想をそのままの形で受け止め、その真意を、私意を排して真摯に解明したものというよりも、現代人である彼ら著者が、無意識の裡に絶対化している欧米近代主義思想に立脚して、宣長の思想を分析し批評したものであるということです。
中には、宣長の生きていた時代の日本には、存在もしていなかった近代主義の概念で、宣長の「思想構造」なるものを恣意的にでっち上げ、それをイデオロギー的に批判断罪するというものまであります。これは、「本居宣長」という生きた実体を、近代主義の抽象的な諸概念で一方的に置き換え、それを組み立て直して作った架空の宣長像に、必死で批判を加えるという、何とも愚かな構図といえるのではないでしょうか。まさに、「鏡に映った自分の姿を、他人だと思って罵倒している愚か者」に似ているともいえましょう。我々が、「日本とは何か」を本気で知ろうとしたとき、このような研究書の類は、本当に役立つでしょうか。むしろ、誤った先入観を与えるだけではないでしょうか。
まして、欧米近代主義の歪が、様々な形で噴出しつつある今日の日本において、まさに必要なのは、今までのように、近代主義というイデオロギーを無批判に受け入れ、その害毒を隠蔽し続けることでありません。そのイデオロギーの正体を明らかにし、それを単なる欧米の一思想として相対化する視点こそ、何よりも求められているといえましょう。
私がここで、自らの浅学をかえりみず、本論を執筆したいと思ったのは、上記のような状況に鑑みて、本居宣長によって発見された「上つ世のまこと」たる「大和心」こそ、「日本とは何か」「日本人のアイデンティテイとは何か」という問いに、根本から答えるものであり、同時に、近代主義イデオロギーそのものを相対化するに足る、大地に深く根ざした、生きた思想であると確信したからです。
従って本論では、宣長の説いたことを、近代の諸概念で類推したり置き換えることなく、その思想を構成する核となる基本用語を、彼の説いたままに、一つひとつ解説していきたいと思います。そして次の段階として、宣長のいくつかの代表的著作を詳しく読み、それらを何の色付けもなく、宣長の説いたそのままの形で理解していくことにより、最終的に「大和心とは何か」に迫っていければと思っています。
思えば、千年にも及ばんとする中国思想と仏教思想の圧倒的な侵蝕の中にあって、我が国の「古道」の復活のため、一人立ち上がったのが本居宣長でした。そして、これら外来思想の正体を徹底的に明らめると共に、一切の私心を廃した古事記の探求を通して「大和心」を闡明し、ついに国学を大成したのでした。それと同様に、まさに西洋近代思想の圧倒的侵蝕に曝されている今こそ、国学の再興が、何よりも求められているのではないでしょうか。
何故なら、我々が、自己のアイデンティテイの根幹に迷い続けている限り、我が国の未来に、決して弥栄は訪れないからです。ここに国学を再興し、真に「大和心」を受継した国民を、一人でも多く輩出していくこと以外に、悠久の過去から数多の先祖達により受け継がれてきた、この日本という国を、確乎たる姿で、未来の子孫達に引き継いでいくことは、到底不可能であると思います。
本論は、まことに「貧者の一灯」ともいうべき小論ですが、この著作が国学の再興につながる肥やしになれば幸いです。
平成16年8月15日記
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